「弓矢」片手に一万年。
タンザニア(アフリカ)に暮らす「ハッザ族」は、そうやって大自然の中を生き抜いてきた。
キリン(またはインパラ)の「靭帯」を弦にして作ったという彼らの弓矢は、大きな動物(シマウマ・水牛・猪など)から小さな動物(鳥やリス)まで、何でも倒す。
その矢には「毒」が塗られており、獲物は矢が刺さったからというよりは、その毒で死ぬことが多いようだ。
※この毒は「砂漠のバラ」という別名を持つ潅木・アデニウムの樹液を煮詰めて作られる。
狩猟採集を生業(なりわい)とする彼らが「定住」することはない。
同じ場所に1ヶ月と留まることはなく、獲物を求めて移動を繰り返す。
彼らが移動先で「家」を作るのには、1時間とかからない。
彼らの家は、小枝や草を編んで作る小型のドームのもので、雨季(11月~翌4月)のみに用いる仮りの住まいに過ぎない。乾季(5月~10月)においては、焚き火のそばで野宿することが多いようだ。
フランク・マーロウ教授(フロリダ州立大)は、過去15年にわたりハッザ族を調査してきたのだという。その彼に言わせると、「ハッザ族の暮らしは、遠い祖先の時代から変わっていないのかもしれない」ということになる。
遺伝子解析の結果を見ると、ハッザ族の遠い祖先は、10万年以上も前の現生人類「最古」の血をひく可能性がある。そして、現在のハッザ族が行う狩猟採集型のライフスタイルは、少なくとも農耕が始まる以前の一万年前には溯ることが確実視されている。
気の遠くなるような長い人類史(200万年)においては、その99%の期間、ハッザ族のような狩猟採集の生活だったのだという。むしろ、「定住型の農耕(牧畜)」を始めたことの方が「ごく最近」のことで、人類史においては1%に満たない短い歴史しかない。
そして、そのわずか1%の短期間で、人類は過去99%の生活(狩猟採集)をすっかり色褪せたものへと変えてしまったのだ。
定住、そして農耕は、人類に「大いなる富」をもたらした。しかし、名著「銃・病原菌・鉄」を著したジャレド・ダイアモンド氏は、こうも言う。
「農耕の採用は、人類最大の過(あやま)ちだ」、と。
農耕のもたらした潤沢で安定した収穫は、集落の人口を爆発的に増大させた。集落が都市になり、都市は国家になった。しかし、その「代償」も少なくなかった。
人口過密化により、「感染症」が猛威を奮るった。安定していると思われていた農耕による生産も、しばしば訪れる飢饉などによって、大打撃を受けることもあった。
そして何より、国家をあげた「大規模な戦争」が、今なお多くの人々を殺し続けている。
農耕とは無縁のハッザ族の人々は、「戦争をしない」。
20~30人程度のまとまりで暮らしながら、公式な「指導者」もいない。
長老と呼ばれる人物は存在するものの、なにも彼が特権的な力を持つわけではない(大きな収穫があった時には、最も貴重な部位である「頭」が長老に振舞われたりするが…)。
「争い」を好まないハッザ族の人々は、よそ者が土地に入り込んできても、抵抗することはまずない。
ただ、彼らの方が「別の場所」に移動するのみである。
生活自体が「その日暮らし」であるために、富が蓄積されることは考えられず、ハッザ族の人々は財産はおろか、個人の所有物すらほとんど持たない。
権力の格差もなければ、富の格差もない。大人たちは誰からも命令されず、誰かに命令することもない。
男女間の関係もおおむね平等であるが、むしろ「女性の力が勝っている」ことのほうが多いようであり、間違っても、男性が女性を「服従させる」ということはないようである。
ハッザ族の夫婦が別れる時は、たいてい「男が妻に見切りをつけられる」。その見切りをつけられる最大の理由は、「狩りが下手」ということだそうだ。
狩りから「手ぶら」で帰ってきた男性たちに対して、女性たちの目はすこぶる厳しい。
「まったく頼りにならないわねっ!」
「寝てばかりいないで、もう一度狩りに行きなさいっ!」
狩りの成果が乏しい時、男たちの肩身は限りなく狭くなる。そんな時は、普段は昼しか行わない狩りを、「夜」も行う。女性たちの大好物である「ヒヒ」を狩るためである。
ヒヒの牙は大変に鋭く、簡単に肉を切り裂くものである。狩りの達人であるハッザ族をしても、心してかからねば、逆にやられかねない。そうした危険を犯してでも、ヒヒは狩る価値がある。
ヒヒはハッザ族にとっての最高のご馳走であり、何より女性の心をつかむことができるのだ。ハッザ族の男性が結婚するためには、女性にヒヒ五頭を捧げなければならないのだともいう。
ヒヒを獲ってきた男性たちを見る女性の目は、一気に好意的なものとなる。
「久しぶりのお肉だわ! もう幸せっ!」
モテる男性の最大の条件は、「狩りが上手いこと」なのだ。それでも、獲物を仕留めた男性は、「手柄を自慢しない」ことになっている。狩りの成果は「運不運」に大きく左右されるものでもあるのである。
ハッザ族が一万年以上にわたり狩猟採集を続けてきたのには、それなりの理由もある。
彼らの暮らす土地は、塩分濃度が極めて高く、農耕には全く適さない。また、水にも乏しく、そのくせ害虫はウジャウジャいるのだ。彼らにとって、農耕という選択肢はおおよそ考えられず、現代にも続く狩猟採集スタイルが最善の生きる道だったのである。
こうした自然環境の厳しさは、ある意味、ハッザ族に幸いした。なぜなら、「他の誰もが、この土地に住もうと考えなかった」からである。
ところが近年、古来よりハッザ族が暮らしてきた不毛の大地に、多くの人々が押しかけている。牛などを放牧する牧畜民、トウモロコシなどを栽培する農耕民、狩猟をするハンターや密猟者…。
争いを好まないハッザ族の人々は、その度に移動を繰り返し、いまやかつての土地の90%は「よそ者たち」に占められることになった。
よそ者たちの横行は、自然環境を大きく変えた。貴重な水場は牛の糞尿で汚染され、小動物の住処でもあった潅木の茂みは切り拓かれ、畑にされた。ハッザ族は一万年にもわたり、自然環境にほとんど負荷をかけずに暮らしてきたが、よそ者たちのかける負荷は尋常ならざるものがあるようである。
よそ者たちは、原始的なハッザ族を「見下している」。
タンザニア政府も、ハッザ族に生活を改めさせようとしている。国内にヒヒ狩りをするような部族がいまだにいることは、他国に対してマイナスのイメージを与えると懸念しているからだ。「定住させて、教育を受けさせる」、それがタンザニア政府の方針である。
ところが、ハッザ族の子供たちは、「学校には行きたくない」と口をそろえる。なぜなら、町の学校では「自然の中で生きる技術を学べない」。その技術(弓矢)がなければ、村では「仲間はずれ」にされてしまうのだ。
ハッザ族の若者たちは、伝統的に武者修行をして弓矢の腕を磨く。その武者修行とは、他のグループ間を転々としながら、様々な技術や知識を吸収していくことである。20~30人単位でバラバラに暮らしているハッザ族は、こうした若者たちの武者修行によって、技術を受け継ぎ、それらを発展させてきたのである。
そもそも、町の教育を受けたからといって、生活が豊かになるとも限らない。はたして、学校教育が職を保証することはできるのか?
職がなくて貧しい生活を強いられるよりも、狩りをして自由に暮らしている方が良いと考える若者たちも少なくない。
西欧のもたらした豊かさの陰には、必ず暗いものがある。
近代化されたハッザ族では、アルコール依存症、家庭内暴力が問題となっている。本来、女性に頭が上がらなかったはずのハッザ族の男性が、妻を殴り殺したという事件すら起こっているのだ。
現在、ハッザ族を取り巻く環境は厳しい。自然環境が厳しいというよりかは、よそ者たちのお節介が度を越しているのである。一万年続いたというハッザ族の歴史は、そろそろ終焉の時を迎えようとしているのかもしれない。
それでも、ハッザ族の人々は「何も心配していない」。
彼らの思想に、「心配」の二文字はないのである。
というのも、彼らには「時間の概念」がない。
「今日という日があるだけだ」
「明日」「あさって」という言葉はあるが、それ以降を表現する言葉を彼らは一万年間、必要として来なかった。同様に、過去に対する執着もほとんど持たない。彼らに「年齢」を聞いても、誰も自分の年を知るものはいないのだ。
「死んだらどうなるかなんて、知ったこっちゃない」
彼らは宗教的な事柄にも、不思議なほど無関心なのである。
どんな時でも、彼らは「今」に生きてきた。
我々には恐ろしく不安定に思える考え方であるが、「今のみ」を生きる彼らには一万年を生き抜いてきたという確固たる実績がある。
一方、我々が安定的であると考えたライフスタイルの方は、どうだろう?
人類史のたった1%に過ぎない歴史が、地球環境を瀕死の状態にまで追いやってしまったのではなかろうか。
我々の生活は、一体あとどれほど続けられるのであろうか?
出典・参考:
「ハッザ族 太古の暮らしを守る」ナショナル・ジオグラフィック
地球イチバン 「地球でイチバンのシンプルライフ~タンザニア ハッザの人々」
0 件のコメント:
コメントを投稿