2012年6月17日日曜日

DNAの2重ラセンの撮影に成功した「ロザリンド・フランクリン」


「ダーク・レディー」

「暗い女性研究者」と呼ばれていた「ロザリンド・フランクリン」。

しかし、そう呼んだのは彼女と慢性的な「冷戦関係」にあったボスである。それゆえ、本当に彼女が陰湿であったかどうかは定かではない。




いや、むしろ「優秀すぎた」のであろう。

幼少の頃から「最高の教育」を受けた彼女は、名門ケンブリッジ大学に難なく進学。成績は常にトップクラスで博士号を修得。

その後、ロンドン大学(キングズ・カレッジ)の研究所に入る彼女であるが、この研究所のボス「ウィルキンズ」と馬が合わず、「事あるごとに衝突していた」。



曖昧さや一切の妥協を許さないフランクリンに、ホトホト手を焼いたボス・ウィルキンズ。それゆえ、陰で彼女を「ダーク・レディー(暗い女性研究者)」と呼んだのだ。

フランクリンはフランクリンで、ウィルキンズがいつもボス面をするのが気に入らない。彼女には自身が「独立した研究者」だという自負があったのだ。何よりも彼女の専門とした「X線結晶学」にトンと疎(うと)いのがウィルキンズだったのだ。





ある意味、フランクリンは確かに「暗かった」のかもしれない。

真面目で優秀な彼女は、ひたすら地道に研究に没頭するのが常であった。

彼女の研究スタイルは、クロスワードのひとマスひとマスを丁寧に塗りつぶしていくように、「ただひたすら個々のデータと観察事実だけを積み上げていく」というものだったのだ。

そして、その地道さこそが、彼女の比類なき優秀さを導いたのであり、のちの大発見につながる「運命のX線写真」の撮影にも成功するのである。



その大発見とは、ワトソンとクリックによって見出される「遺伝子の2重ラセン構造」であり、彼らがその構造に気づくのは、フランクリンの撮った「遺伝子のX線写真」を見たからだと言われている。

のちのワトソンはその自著に、その写真を目にした時の衝撃をこう記している。



「その写真を見たとたん、私は唖然として胸が早鐘のように高鳴るのを覚えた。

写真の中で一番印象的な『黒い十字の反射』はラセン構造からしか生じ得ないモノだった。」




ご存知の通り、ワトソンとクリックが世に示した「遺伝子の2重ラセン構造」は、のちにノーベル賞を受賞するのであり、この両名の名は歴史に名高い。

一方、その大発見の決定打を与えたといわれるX線写真の撮影に成功していた「暗い女性」の存在を知る人はほとんどいない。

それはまるで、ワトソンとクリックによる輝かしすぎる大偉業が、ただでさえ暗かった有能な女性を、さらなる暗みへと追いやってしまったかのようだ。



ところが、歴史には優しさもある。

ダーク・レディー、フランクリンの名は、ヒョンなことから世間で騒がれ始める。

大発見をしたワトソンが、実はフランクリンのX線写真を「無断で盗用していた」として物議を醸し出したのである。



ワトソンは自伝「二重ラセン」に開けっ広げにフランクリンのX線写真を見た時の衝撃を語っているが、それはフランクリンの許可の元ではなかったのだという。

犬猿の仲にあったボス・ウィルキンズが彼女に無断でコッソリとワトソンに見せたというのだ。



しかし、この話にはおかしなところが山ほどある。

まず、X線結晶学に疎いウィルキンズとワトソンは、二人ともその写真の意味を理解していなかった可能性が高い。

素人がX線写真を見ても、それが黒い背景にただようモヤモヤとした白い雲にしか見えないのと同様、しかるべき訓練を積んだ者にしか、その意味は判然としないのだ。

そこに意味をつけるには、「手間暇のかかるさまざまな数学的変換と解析」が必要とされるのである。



また、ウィルキンズとワトソンがそれぞれ所属する研究所は、互いにライバル同士であり、もしウィルキンズがそのX線写真の重要性を理解していたのならば、敵であるワトソンにおいそれと見せるはずはないのである。

どうやら、ワトソンがフランクリンのX線写真に衝撃を受けたという記述は、「あとから作られた発見のドラマ」に過ぎないようだ。

ウィルキンズの著書を開けば、この写真をワトソンに見せた時、「ワトソンに衝撃を受けた素振りはまったくなかった」と書かれてある。




もし、ワトソンがその写真の重要性に気づかなかったとしても、フランクリンのX線写真が遺伝子の2重ラセン構造を示していたのは紛れもない事実である。

なぜなら、その意味を知っていた「クリック」も、その写真を目にしているのだ(彼はワトソンとともに2重ラセンを発見したとされる人物である)。



クリックがフランクリンのX線写真を目にするのは、ワトソンとは全く別の経路によってであった。たまたまクリックの上司がクリックにその写真を見せたのだ。

クリックが目にしたフランクリンの写真には、ご丁寧に「手間暇のかかる数学的変換と解析」も同時に記されていた。

なぜなら、この時の写真はフランクリンが英国医学研究機構に提出したものだったからである。



英国医学研究機構は、彼女に研究資金を提供していた機関であり、提出レポートの出来不出来によっては資金提供を見送られることもあった。

それゆえ、この時の彼女のレポートには「あらん限りの成果が詰め込まれていた」。しかも、優秀な彼女による丁寧すぎるほどの解説付きで。

そこにはDNAのラセンの直径から一巻の大きさ、塩基が階段状に配置されている様までが、事細かに緻密な測定数値とともに記されていた。



彼女渾身の作であったそのレポートがクリックの手に渡ったのは、運命のイタズラであったのだろうか。

いわば「敵国の暗号解読書」が添付されていたようなフランクリンのX線写真。

クリックの目が釘付けになったのは、「DNAの構造はC2空間群である」というフランクリンが記した一文であった。



「C2空間群」とは?

2つのものが互いに「逆方向」に配置されたものである。

これはヘモグロビンの構造と同一のものであり、クリックにとってのヘモグロビン構造は、かつて飽きるほど解析させられた仕事であった。



クリックの頭の中に刻まれていたヘモグロビンの構造が、フランクリンの一文によって、遺伝子とピッタリと符合した。

「そうか! 2重ラセンを構成する2つの鎖は同じ方向を向いているのではない。互いに逆方向を向いて絡まっていたのか!」



「チャンスは準備された心に降り立つ(Chance favors the prepared minds)」

イヤイヤながらやっていたヘモグロビンの解析が、期せずしてクリックの心を準備させていたのである。

こうして、「C2空間群」という言葉は、クリックにとってジグソーパズルの「最後のピース」となった。



興奮したワトソンとクリックは、「すぐに」論文を科学雑誌「ネイチャー誌」に送付。

その論文は「わずか1,000語(たった2ページ)」という極めて短いモノであったが、そこには歴史を変えるほどの膨大なエネルギーが満ち溢れていた。



当時の多くの科学者たちは、遺伝子構造の解明に熱々になっていた。

しかし、誰もがその一歩手前まで行きながらも、そのジクソーパズルを完成させる者はいなかった。



そこに提出されたワトソンとクリックの論文。

彼らは散在していた膨大な量のピースを見事なまでに美しく組み立てて見せたのだ。

そして、その最後のピースがフランクリンのX線写真にあったことは、しばらくは誰も知ることがなかった。




フランクリンは遺伝子の熱狂の渦の外で黙々と遺伝子を見つめていた。

彼女にとっての遺伝子は「単なる研究材料」にすぎず、X線写真の「被写体の一つ」にすぎなかった。

フランクリンの手記や私信には、「彼女がDNAに対して、その生物学的重要性を認めたがゆえに研究に邁進したというような記述はどこにも見当たらない」。

彼女には「あらゆる意味で野心も気負いもなかった」のである。ただ禁欲的なまでに研究に没頭していただけであった。



そんな彼女にとって、遺伝子を巡る喧騒は遠いところの出来事でもあったのだろう。

早世した彼女は、静けさの中に息を引き取った(37歳)。

ワトソンとクリックがノーベル賞を受賞するのは、彼女の死から4年後のことであり、彼女はその熱狂も知らなければ、「自身のデータが彼らの発見に決定的な役割を果たしたこと」も知ることはなかった。



そのノーベル賞の舞台には、ワトソンとクリックはもちろん、犬猿の仲であったボス・ウィルキンズの姿もあった(ノーベル医学生理学賞受賞)。

さらには、クリックにフランクリンのレポートを見せたという「マックス・ペルーツ」までが、そこにいた(タンパク質の構造解析によるノーベル化学賞受賞)。

すなわち、1962年のノーベル賞の舞台には、フランクリンのX線写真を盗作した疑いのある「共犯者たち」が揃い踏みしていたのである。



歴史は勝者に味方する。

勝者がフランクリンを「暗い女性(ダーク・レディー)」と言えば、それはそうなる。

しかし、皆がみな歴史の表層に流されるわけではない。彼女の偉業を正当に評価できる目と耳を持った人々も確実に存在する。



もし、彼女がいなかったら、ワトソンとクリックは遺伝子の2重ラセン構造に一生気づかなかったかもしれない。

直感とヒラメキの中にいた彼らは、「自分たちで実験を行い自らデータを収集しようとはせずに、ああでもない、こうでもないと日がな議論を繰り返していた」。

それゆえ、フランクリンが黙々と緻密に積み上げた正確なデータがなかったならば、いかなる天才といえども、かほどの飛躍はできなかったであろう。



事実を一つ一つ丁寧に積み上げていく「帰納的なスタイル」のフランクリン。それに対して、結論先にありきの「演繹的スタイル」のワトソンとクリック。

逆方向に絡まり合うDNAの2本の鎖のように、彼女と彼らのスタイルは正反対であった。



もし両者が違う畑にいたのならば、お互いに一生縁はなかったであろう。

たまたま同じフィールドに立っていた正反対の両者は、期せずして邂逅を果たし、世紀の大発見がもたらされることとなったのだ。



逆方向に絡まり合うDNAの鎖は、そのどちらかが優れていて、そのどちらかが劣っているわけではない。

お互いがお互いを必要とし、お互いがお互いを補完し合うのだ。

ワトソンとクリックがいなかったのならば、フランクリンのX線写真の重要性に気づいてくれる人も現れなかったかもしれない。



結果的に、歴史の評価はワトソンにクリックに大きく偏ったわけだが、知られざる女性・フランクリンにもう少しだけでも光を当ててあげてもよいのではなかろうか。

彼女の業績を知った人々は、一様に静かな賛辞を彼女に捧げる。

ひょっとしたら、静かなる彼女にとっては華やかなノーベル賞の舞台よりも、こうした静かなる賛辞の方が大きな喜びとなるのかもしれない。



ワトソンとクリックが光だとすれば、フランクリンはまさに影。

しかし、その暗さはなんとも「好ましい暗さ」ではあるまいか。








出典:生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)


0 件のコメント:

コメントを投稿