不思議なことに、「キプロス」という国はこの地球上に2つある。キプロスという「島」は一つしかないにも関わらず…。
キプロス島という島は、地中海では3番目に大きな島といえども、その面積は「四国の半分」しかない。つまり、島としては大きいが、国としては小さい。そして、その島の上に住む国家が南北に分かれたことにより、さらに小さくなってしまっている。
◎北はトルコ、南はギリシャ
キプロス島の北部には「トルコ人」が住み、南部には「ギリシャ系の人々」が暮らす。かつては島全域にわたって混在していた両民族は、今では水と油のようにキレイに分かれ住んでいる。
面白いのは、両国の首都がちょうど南北の境界線上にあり、仲も良くない両国がその首都を仲良くシェアしていることである。トルコ人はその首都を「レフコシャ(トルコ語)」と呼ぶが、一般的には「ニコシア」で知られる都市である。
そのニコシアの街の真ん中には「線」が引かれ、二世帯住宅ならぬ、二国家首都という世界で唯一の奇妙な状態に置かれている。
その奇妙な様は、かつてのベルリン(ドイツ)を彷彿とさせるものであり、そして、他国の都合によって南北に袂を分かった姿は、朝鮮半島を思い起こさせるものである。
◎並みいる大国の寵愛
太陽あふれるキプロス島は、時の権力者たちにとって余程、魅惑的に輝いていたらしい。歴史上においても、この島ほど幾多の大国によって可愛がられた島も珍しい。
キプロス島の歴史を紐解けば、その支配国の一覧はキラ星のごとく蒼々たるメンバーのオンパレードである。古くはヒッタイト、アッシリア、エジプト、ペルシャ、ローマ…、近世に入ってからはオスマントルコ、イギリス…。
軍事的・交易的にも重要な「中継地点」であったキプロス島は、あたかも地中海に浮かぶ根無し草のように、あっちの大国、こっちの大国へと極めて柔軟に立ち位置を変えてきたのである。
日本で言えば、沖縄という島が日中・両大国の板挟みとなった歴史をもち、軍事戦略的にアメリカが決して手放そうとしないように…。
◎ロシアとイギリスの上陸
支配者は時の流れとともに代わっていったとはいえ、この島は一貫して「ギリシャ人」の島だったと考えてよい。そこにトルコ人が入ってきたのは、日本が戦国の国盗り合戦を繰り広げていた頃、オスマントルコの支配を受け入れて後の話である(1571)。
その後300年間ほどは、なんだかんだとギリシャ・トルコの両民族はこの島で同居を続けていた。100年単位の時の流れは、それなりの融和をももたらすものなのであろう。
その馴染みつつあった水と油がお互いに反発し出すのは、新たな時の大国、ロシアとイギリスの関与が始まってからである。
氷の国のロシアは凍らない港を求めてオスマントルコにまで南下してきて、戦闘を開始(露土戦争・1877)。ロシアの勝利に終わる。その後、戦争に敗れて弱ったオスマントルコにイギリスが救いの手を差し伸べて、うまうまとキプロス島を植民地としてしまう。
こうして、キプロス島には新たにイギリスとロシアが上陸し、現代に至る基盤を築いていくことになる。
◎イギリスによる法整備
キプロス島に古くから住んでいたギリシャ系の人々にとって、ロシアとイギリスの関与はある意味好ましいものでもあった。なぜなら、キリスト教(ギリシャ正教)を信奉する彼らにとって、オスマントルコのイスラム教だけは受け入れ難いものだったからである。
この点、イギリスは由緒あるカトリック、ロシアはロシア正教と、宗教的にはイスラム教よりもずっと安心感があったのである。
植民地時代も悪いことばかりではない。キプロスの経済は商売上手なイギリスの手によって整備され、「英語の通じるギリシャ」とまで言われ、海外からも盛んに投資されるようになる。
こうして、キプロス島は地理的には中東に近いといえども、その内実はぐっとヨーロッパに近づいた。その最大の成果がEU加盟(2004)であり、キプロスの通貨はユーロとなり国際的な信任を得られるようになったのである。
◎ロシアン・マネー
この整備された法制度に巧みに乗っかってきたのがロシアの富裕層。ソ連の崩壊にともなう国内の大混乱の中、お金に思いっきり余裕のあるロシア人たちが、その有り余る大金をキプロスの金庫に隠し込んだのである。
キプロスの法人税率は10%と、EU加盟27カ国中で最も低い。さらに会社法などはロシアよりもしっかりとした保障があるので、税の逃げ道(タックスヘイブン)としては最高の場所である。さらに、英国法に準拠した法律、ならびに国際通貨ユーロがその最強の後ろ盾である。
お金ばかりではなく、ロシア人自身もキプロス島に大挙してやって来た。氷の国に暮らしていた彼らにとって、太陽あふれるキプロスはまさに南国の楽園。いまだにロシア人観光客は増え続け、過去最高を更新し続ける勢い。南部の高級リゾート地リマソルの別名は「リトル・モスクワ」である。
そんなこんなで、キプロス島には60万人ものロシア人が住み着いている(島全体の人口が100万人もいないのに!)。そして、流れ込むロシアン・マネーは500億ドル(4兆円)とも。ちなみに日本の税収は40兆円。日本の人口がキプロスの100数十倍であることを考えると、その膨大さが窺い知れる。
その結果、キプロスの金融は小国に似つかわしくないほどに巨大化し、とんでもなく頭デッカチにもなってしまった。
◎陸の孤島となった島北部
キプロス島民の感情はどうあれ、イギリスとロシアのもたらした恩恵は、その経済を大きく飛躍させることとなった。
だが、その恩恵の置いてけぼりを食ったは、島の北キプロス。トルコに支配され続けたキプロス島北部の経済は、トルコの通貨リラを使っていっため、そのインフレの影響をもろに食らうなどして、一向に発展する気配はなかった。
その南北の差は時が経つごとにグングンと開いていき、ついにはGDP(国内総生産)で3倍もの格差となってしまった。あたかも、北朝鮮と韓国が同じ半島に位置しながら、その国境線を境にして、まったく色が異なってしまったように…。
世界中で北キプロスを国家として認めるのは、その支配者であるトルコ一国のみであり、その逆に、南キプロスを国として認めないのも、トルコ一国のみである。
日本政府に言わせれば、北キプロスというのは「トルコ軍による実行支配地域」に過ぎないのである。この日本の見解は世界共通のそれでもある。
◎トルコ軍の乱入、そして分断
キプロス島が南北に分断されたのは1974年。イギリスから独立して15年後のことであった。
当初は島全体の独立だったはずが、その独立が民族魂に火をつける結果ともなり、300年来混住していたトルコ人とギリシャ系民族が決裂してしまったのである。
初めにクーデターを起こしたのはギリシャ系。そして、その混乱を受けて島に乱入してきたトルコ軍が島北部を占領。その後、トルコ軍の占領地域となった島北部は、一方的に独立を宣言することになる(1983)。
キプロス島を巡る一連の騒動は、ギリシャとトルコの代理戦争でもあった。ギリシャの支持する南のキプロスには、キプロス好きのロシア軍の地対空ミサイルも配備されそうになったが、さすがに国際社会の批判を浴びて撤回された。
◎南キプロスに先を行かれたトルコ
キプロス島の南北分断以来、ギリシャとトルコの国際関係は一進一退、いまだ融和への道のりは遠い。
トルコはEU加盟という悲願がありながら、すでに加盟国のギリシャはそれを決して許さない。その逆に南キプロスがEUに入ろうとするのを、トルコは決して許さない。
しかしトルコには残念ながら、南キプロスは2004年にトルコの先を越して、EUへの仲間入りを果たす。これにはトルコも地団駄を踏むより他になかった。国際社会はつねに南キプロスの味方なのである。トルコがキプロス問題を抱え込んでいる限り、トルコがEU入りすることはまずないと考えられている。
トルコの支配する北キプロスの面積は、日本でいえば長野県か千葉県程度の大きさに過ぎない。しかし、トルコが固執するこの小さな地域があるがゆえに、トルコはその行く道をすっかり阻まれてしまっている。
トルコにとっての北キプロスは、中国にとっての北朝鮮のように、厄介な火種でありながら実益は少ない。それはまさに、肉は少ないが捨てるには惜しい「鶏肋(ニワトリの肋骨まわり)」なのである。
※「鶏肋(けいろく)」とは、中国「三国志」に見られる故事。その逸話において、大国・魏の曹操は守るに守りにくく、それほどの実益もない漢中という領土を結局は放棄している。
◎ギリシャ金融の核爆発
南のキプロスには悔しい思いばかりをさせられていたトルコにとって、胸をつかえが取れるような悲劇が南キプロスを襲った。
それはギリシャの金融危機であった。
南キプロスほどにギリシャと密接に関わっていた国は他にない。何よりも南キプロスの住民はギリシャ人なのであるから。
その財務省はこう表現している。「ギリシャで金融の核爆発が起こり、我が国がその爆発に巻き込まれた最初の国となった」と。ギリシャ国債のデフォルト(自発的なヘアカット)により、キプロスの銀行はGDP比で25%に相当するほどの大被害を受けたのである。
◎揺れるキプロス
ロシアン・マネーを始めとする海外投資は、キプロスの金融を頭デッカチにしていた。そして、その不安定に大きな頭がギリシャによって、ユッサユッサと揺すられ続けた。しかも数年にわたって。
倒れそうになったキプロスは、たまらずロシアに支援を求めることとなった。その求めを快諾したロシアは昨年25億ユーロ(2500億円)をキプロスに融資した。
それでも頭は揺れ続ける。キプロスは最後の頼みの綱であるEUにも支援を要請し、ユーロ危機以来、EUに支援を求めた5番目の国家となった。
◎EUよりもロシア
ところで、なぜキプロスは最初からEUを頼まなかったのだろうか? 同国の通貨がユーロであるのに、なぜロシアに先に助けを求めたのだろうか?
その答えは、「EUは厳しすぎる」というものだ。EUが金を貸す時には決まって「厳しい条件」が欲しくもないオマケとして付いてくるのである。
たとえば、EUはアイルランドを支援する条件として、法人税の引き上げを求めている。キプロスは法人税の低さによって、海外投資を招き入れているため、その増税は意に反するものなのである。
その点、ロシアは寛大である。ドイツほどに厳しくはない(ドイツほどにお金はないかもしれないが…)。
さらに現在のキプロス大統領(ディミトリス・クリストフィアス)は、EU首脳の中では唯一ロシア語を流暢に操るロシア通でもある(旧ソ連で教育を受けた経歴をもつ)。それゆえ、ロシアとのパイプも太いのである。
◎資源なき悲しさ
歴史上、大国の間で揺れてきたキプロスは、今世紀に入り、ふたたび揺れ動き始めている。
過去の歴史と異なる点は、島が南北に二分された状態で揺さぶられていることである。裂け目が入ったままのキプロス島は、揺れるたびにその亀裂の口を大きくしている。トルコが、ロシアが、そしてEUが…、その口に手をかけて…。
そもそも、キプロス島が大国に依存せざるを得ないのは、この島に資源がないからでもある。この点は日本と同じである。
日本が工業生産の道を選んだのに対して、キプロスは観光の道を歩んだ(GDPの70%を観光を含むサービス業が占める)。それゆえ、国内でモノを作らないキプロスはモノを外国から買うしかない。
その結果が、圧倒的な輸入超過。売るよりも買うほうが3倍以上も多いのだ。この体質は赤字を招き、なし崩し的に海外資本への依存を生んでしまった。
◎夢の資源
昔々は、「銅」がよく採れたというキプロス島。銅のラテン語名である「Cuprum」は、「Cyprus(キプロス)」に由来するとも言う。
紀元前3000年以来、およそ5000年もの歴史を持つというキプロスの銅山は自然銅が枯渇した後も、黄銅鉱から銅が抽出されてきた。しかし、現在の経済規模において、その鉱山はもはや意味を成さぬほどの小ささである。
もし、海の底にでも資源があれば…。
そんな夢を見ながら、地中海を眺めていたキプロス。なんと、その夢が現実のものとなりつつある。水平線のかなたから天然ガスの香りが漂ってきているのである。
その海底資源の発見に狂喜したシリアル財務省は、夢のまた夢を見ている。「一日が過ぎるごとに、天然ガスの香りが近づいている。その香りは美しい」。
ラテン気質というのは、根っから楽観的なものなのであろうか。同国が金融危機の渦中にあり、その財政が火の車にも関わらず、明るい未来を夢想できるのだから。
シリアル財務省が語るところによれば、2017年にまでキプロスは天然ガスを生産するようになり、2019年には輸出にも回すほどになるのだという。
◎楽天的な大ざっぱさ
そんな楽観的な明るい未来は大変結構なものの、現在のキプロスは自国の電力さえも賄いきれていない。
というのも、国内最大の発電所(ヴァシリコス)はちょうど一年前に大爆発を起こして、国内の発電量の半分近くが失われ、いまだに完全復旧には至っていないのである(2013年中には普及の見通し)。
その爆発の原因は大変不始末なもので、発電所の裏手に積んだままで数年間放置されていた爆薬が火を噴いたのである。しかも、その爆薬は国連との約束を破って、イランからシリアに向かっていたものであった。ロシアと関係の深いキプロスには、そんな暗い陰もあるのである。
◎小さな湾岸地域
キプロスが見る資源国の夢は、南北に割れた島を一つにする希望となるかもしれない。
しかし、どうやらキプロスの海周辺は新資源を巡って「小さな湾岸地域」の様相を呈しており、どちらかというと島の裂け目は大きくなる気配を見せている。
さっそくいつも通りにトルコが難癖をつけており、キプロスが持つはずの海底採掘権の一部に異議を唱え始めている。さらにはトルコと犬猿の仲にあるイスラエルが、敵の敵は仲間ということで、キプロスに急接近している。当然、天然ガスの香りをかぎつけて。
もし、楽観的なままにキプロスの天然ガスが採掘されるのであれば、それはヨーロッパを安定させる重要なエネルギー源となりうる。
しかし、悲観的な方に話が進むのであれば、その燃えやすい天然ガスは、ふたたびこの地域を「火薬庫」ともしてしまいかねない。今までよりも、さらに引火性を強めて。
◎何とかなるさ~
なるほど、キプロスという島はいつの時代にも「重要な島」であり続けるわけだ。幸にも不幸にも、世界はこの島を放っておかないようである。
キプロスへやって来る観光客は、俗世から離れることを望んで、この島を目指すのかもしれない。しかし、この島自体が俗世を離れることは決して許されていないようである。
それでもキプロスの海は美しい。
未来がどんな形になるのであれ、キプロスはどんなに美しい海でも荒れることがあることを知っているはずである。実際、この島は歴史上の荒波に揉まれながらも、それらを見事に処してきたのである。
もしかすると、この島の楽観的な人々は、この荒波をすら楽しんでいるのかもしれない。「何とかなるさ~」とでも口ずさみながら…。
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出典・参考:
キプロス:「緊縮」迫るEUに不信感 域外のロシアに傾斜
ロシア人金持ちの隠れ蓑、キプロス
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