2012年7月14日土曜日

未来とは戦わない。アマゾンCEO「ジェフ・ベゾス」


その男は「声がデカく、笑い声はもっとデカかった」。

彼はもともと、2万5000エーカー(東京ドーム20個分以上)という広大なテキサスの牧場育ち。「なんとも豪快で開けっぴろげなアメリカン」なのである。

彼の名は「ジェフ・ベゾス」、かの世界企業「アマゾン」の創業者にして、最高経営責任者(CEO)である。



◎そのシンプルさ


彼にアマゾンという社名の由来を聞けば、こう答える。「アマゾン川が世界最大・世界一であること。読みやすいし書きやすいこと。そして、Aで始まること。あはははは」

とてもシンプルであり、とても力強い。そして、不思議と説得力がある。この社名と同様、その戦略もシンプルだ。

「価格・便利さ・セレクション(品揃え)」、これら3点に尽きる。



ベゾス氏は、「自分は『決して変わらない顧客のニーズ』に焦点を合わせている」と語る。

「今から10年後に、顧客がまだ『低価格』を求めていること、まだ『迅速な配送』を求めていること、まだ『セレクション』を求めていることを、私は事実として分かっている」

Source: wired.jp via Hideyuki on Pinterest






◎その起こり


アマゾンが産声を上げたのは1994年、時はまさに「ドットコム・バブル」が幕を開けたその時だった。

当時、ウォール街のヘッジファンドに勤めていたベゾス氏は、着々と昇進の階段を上り、ヴァイス・プレジデントという高い地位にあった。ところが、彼はその高みから身を投げて、アマゾンの創業に踏み切ったのである。

インターネットが年間2300%もの急成長を遂げていた「ドットコム・バブル」。ベゾス氏はそれに賭けたのである。その様はあたかもゴールド・ラッシュに向かうワイルド・キャット(山師)たちのようではないか。



◎かつてのゴールド・ラッシュ


今から150年以上前、アメリカ西海岸(カリフォルニア)はゴールド・ラッシュに沸き立っていた。日本が幕末の動乱期にあったその頃に。

「Gold, Gold, Gold!」、西海岸から発せられるニュースは羽振りのよいものばかり。「尽きることのない金鉱がカリフォルニアに!」。



アメリカ大陸の反対側(東海岸ニューヨーク)にいた人々は、当初、これら派手なニュースに半信半疑であった。ところが数年もすると、アメリカ大陸を横断せずにはいられなくなった。ある者は幌馬車に揺られ、ある者は船に揺られて、一路カリフォルニアへと殺到したのである。

その列に連なったのは、若者や貧者ばかりではない。弁護士や医者という安定した高い地位にある人までもが、ニューヨークにクライアントや患者を残して幌馬車に乗り込んだのである。



◎20世紀最後ののゴールド・ラッシュ


150年前のゴールド・ラッシュという社会現象は、多くの点で10数年前のドットコム・バブルと酷似している。とりわけ、とんでもないブームが巻き起こったこと、そしてそれが見事に弾け飛んだことなどが…。

悲しいかな、「金は掘ればなくなった」。そして、多くのワイルド・キャットたちは行き倒れた。海岸線には数百もの船が乗り捨てられ、荒野の路傍には、何千頭もの死馬たちが異臭を放っていた…。




この点、幸運にもドットコム・バブルはゴールド・ラッシュと一線を画していた。掘れば尽きる金に対して、ドットコム・バブルの金脈は「イノベーション(革新)」という尽きることのない人間のアイディアに根ざすものであったのだ。

もちろん、ドットコム・バブルにおいて、多くのIT企業は泡に遊び泡に消えた。だが、幸い、ベゾス氏のアマゾンは残った。



◎古いものを改良することもイノベーション


ベゾス氏はより慎重な山師であった。

多くのIT企業が時の勢いに乗りすぎてズッコケていく中、アマゾンばかりは「戦略どおり」の低成長を続けていた。投資家たちに不評だったこの低成長、ドットコム・バブルがはじけた翌年、その賢明さが世に示される。アマゾンは過去最高益を叩き出したのである。バブルが弾けたその後に…。



ベゾス氏にとっての「イノベーション(革新)」とは、新しいものを生み出すことだけを意味しなかった。「古いものを改良すること」もイノベーションだったのである。

確かに、アマゾンの仕事には地味なところがある。アップルやグーグル、フェイスブックなどが、「消費者自身が欲しいことすら知らなかった新しいもの」で世を沸かせているのに対して、アマゾンの仕事は「箱の配送や在庫管理」といった単調な任務。

だからこそ、ベゾス氏は「決して変わらない顧客のニーズ」に焦点を合わせているのである。



皆が皆、新しいものを生み出そうと躍起になったいたドットコム・バブルではあったが、その熱狂の中にあってなお、アマゾンは古き良きものを丁寧に丁寧に磨き続けていたのである。低成長に甘んじながらも。




◎未来とは戦わない


しかし、だからといってアマゾンが「変わらない」わけではない。

アマゾン最大の売りである「紙の書籍」を駆逐するかもしれない「キンドル(Kindle)」を生み出す決断を下したのは、他ならぬベゾス氏自身である。

※「キンドル(Kindle)」とは、アマゾンが開発した電子書籍リーダーのこと(日本には近日上陸)。




彼は「未来と戦っても勝ち目はない」と達観している。時代が変わるのであれば、それに寄り添って、それと手を組むよりほかにない。そのことを彼は「未来に寄りかかる(lean into the future)」と表現する。

「紙の本を読むか、デジタルで読むかを最終的に決めるのは『読者』です。私たち売り手ではありません。

未来に寄りかかるということは、『下り坂』を滑っていくようなもので、じつは楽なんです。逆にそれと戦おうとすると、未来は『上り坂』となって大変なのです」


ひょっとすると、ドットコム・バブルに消えたIT企業の多くは、新しいものを追いかけすぎて、きつい上り坂に挑んでいたのかもしれない。

その中にはマレに、スティーブ・ジョブズ氏(アップル創業者)のような健脚の御仁もいただろう。しかし、歴史が示したように、その多くは上り坂を登りきれなかったのだ。



◎後悔するか否か


ベゾス氏は不確定な未来に対しては実に柔軟な反面、確定済みの現在に対しては実に果敢である。その果敢さは、ウォール街を飛び出した時、そして、キンドルを発売した時に見られた、それだ。

というのは、未来に柔軟な彼も、過去の「後悔」には敏感なのである。




「同じ本を何度も読む」といベゾス氏の愛読書の一冊が、カズオ・イシグロの「日の名残り」。本書の主人公は「人生の終わりを迎えた時、何のアクションも起こさなかったことに、ひどく後悔する」。

1994年にベゾス氏が清水の舞台から飛び下りてアマゾンを起こした時、彼の胸中にあった思いは、「失敗するか否か」ではなく、「後悔するか否か」であったという。

「自分が80歳になった時、これ(アマゾン)をやらずに今のところに勤め続けたら、きっと後悔するだろう。もし、これをやって失敗しても、さほど後悔はしないだろうと思いました」

ベゾス氏にとっての人生最大の後悔は「Omission(為さぬこと)」から生じるのであり、それは「Commission(成すこと)」の失敗から生まれるものではなかった。



◎厳しい社内


アマゾンのトップの「気さくさ」とは裏腹に、その社内は「ダーウィニズム」のような厳しさも存在するのだという。ここで言うダーウィニズムとは「弱肉強食」の意味合いが強い。

その競争に生き残れている上級幹部たちは「恐ろしく頭が切れる」。しかし、上司は部下の面倒をそれほど見ないようで、その根底には「できないなら辞めてもらう」という考え方もあるようだ。

それゆえ、「自発的に仕事をする人はうまくやっていけるが、繊細な人は、自分のアイディアについて同僚から容赦なく問い詰められ、くじける」のだとか。「裏付けとなる数字」が常に求められるのである。



◎最高のカスタマーサービス

そうした厳しさを内在するベゾス氏は、カスタマーサービスについて、こう語る。「最高のカスタマーサービスとは、顧客が電話をしなくて済むようにすること」。問題の根っこにあるものを解決しようとしていれば、つまらないクレームは来なくなるというのである。

そう語るベゾス氏は、毎年、自らがカスタマーサービスの電話の前に座る。そして、顧客からのクレームに対応する。

しかし、彼には顧客を十分に満足させることができない。なぜなら、かかってくる電話のクレームに「つまらないもの」はすでになく、「より解決困難な難題」を問われるからだ。幸いにも、アマゾンのカスタマーサービス係は経験豊富であるため、ベゾス氏は彼らの助けを借りることができる。

「おそらく私一人では、本当に酷いサービスを提供してしまう」と彼は自ら認める。



◎ゴールドラッシュの裏で光り始めた電球


かつて、アメリカでゴールドラッシュが巻き起こり、世の人々の頭が「金・金・金」でいっぱいになっていたちょうどその頃、エジソンは研究所の中で黙々と「白熱電球」の失敗を繰り返していた。

そして、エジソンの飽くなき情熱は、ようやく小さな一個の電球に光りを灯した。その小さな輝きは、金の眩さほどはなかったかもしれない。しかし、その電球の控えめな光こそが、次の時代を照らしていたのである。

「掘ればなくなる金」とは違い、エジソンの掘り上げた「白熱電球」による富は膨大であった。全世界を「電気の時代」に導き、そしてそれがインターネット、ドットコム・バブルにもつながっているのだから。

Source: homewerx.ca via D on Pinterest




◎原始的な家電製品


金を追ったものは敗れた。一方、電気を追ったものは勝った。

当時、アメリカに巡らされた電線というのは、ただエジソンの白熱電球に光を灯すだけのものだった。その頃は、のちの家電製品やインターネットのことを誰も知らなかったのである。それでも、そのインフラ整備には莫大な予算が投じられたのであった。



その電気の道は、家庭に電化製品を普及させる道ともなった。しかし、出回り始めた頃の家電製品というのは、今考えると恐ろしく「原始的」であった。

最初の掃除機は40kg以上もあったのである。一人では運べず、2人がかりで移動しなければならなかった。洗濯機には停止ボタンがついておらず、髪が巻き込まれるという危険な物体でもあった。



◎まだまだ原始的


さて、それに比べれば現在の進展は目覚しい。しかし、それでもベゾス氏はこう言う。「私たちの立っている地点はまだまだ原始的です」と。

電線を電球にしか使っていなかった時代のように、インターネットの使われ方はまだまだ限定的であり、インターネットでトラブルが続出するのは、洗濯機が髪の毛を巻き込んでしまうようなものだと言うのである。



そうした観点に立てば、未来はまだまだ変わっていくということになる。電球しかなかった時代に今のIT環境を想像できなかったように、今後の世界は予想だにできない。

現在を「原始的」と捉えるベゾス氏にとっての未来は、他の人の未来よりもずっと明るいのかもしれない。その点、彼は極めて「楽観的」なのである。そして、それと戦うことはせず、それに寄りかかり、それと「手を組もう」としているのだ(lean into the future)。



かつてエジソンが白熱電球に見た光は、他の人が見た光よりもずっと明るいものだったのだろう。

そして、その頃にとっての未来、つまり現在は、エジソンが見ていた明るい未来よりもずっと明るいに違いない。

今後の未来には、ベゾス氏のデカい笑い声よりも、もっとデカい笑い声が響きわたっているのかもしれない…。






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出典・参考:
WIRED.jp「Amazon CEO直撃インタヴュー。ジェフ・ベゾスが語る、 ファッション、未来、eBookとテイラー・スウィフト」
TED「ジェフ・ベゾス:次のウェブ・イノベーション」

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