その昔、「砂漠」に残された「足跡」を正確に見分けられる一族がいた。
「足跡が読める」という彼らは、砂漠の砂上にかすかに残された痕跡から、牛の草なども探し当てることができたのだという。
インドの王様は、アフガニスタンに暮らしていた彼らをたいそう気に入ってしまい、大金を払って彼らを仕えさえ、ついには二度と故郷に帰すことがなかったほど彼らを愛したと伝わる。
「パーギー」と呼ばれるのは、その「足跡を読む人々」への尊称である。
誰にでもできるわけではないその仕事は「賢人の仕事」とされ、医者であるナーリー、裁く人であるニャオ、王のために歌う人であるラーギーなどと並び称されたのだという。
その一族の血をひくという老人は、今もインドに暮らしている。
彼が足跡の読み方を悟ったのは、「いなくなったラクダ」を探し回っていた時のことだったという。
その足跡をたどっていくと、途中で別のラクダの足跡が混ざってしまい、どれが何なのか判らなくなってしまう。それでもよく見ると、「足跡に特徴がある」ということに気がついた。
こうして、彼はその見分ける術を悟っていったのだという。
「足跡を読む時は、心静かに視線は鋭く。頭は濁りもなく澄んでいる」
足跡の「曲がり具合」を注意深く観察すれば、その足跡を残した人物の姿が鮮明に浮かび上がってくるのだと、その老人は静かに語る。
「人の歩き方は様々であり、その歩き方で足跡の形は変わってくる」
「これは女の足跡だ。しかも…、苦しそうにゆっくりと歩いている。」
砂漠の足跡は、その老人に雄弁に語りかけてくる。
「おそらく妊娠しているのだろう。5ヶ月か6ヶ月。足は腫れ上がり、その歩みはとても遅い。」
「こちらの足跡は旅芸人の一座であろう。
この足跡からは楽器を運ぶ姿が浮かび上がってくる。重い楽器を背に担いでいる。」
「この足跡は新しい。一日も経ってはいまい。
一人は痩せた若い女性。背は高くない。年のころは16か17…。花嫁のようだ。一緒に歩いているのは年長の男性だ。この二人は婚礼のために国境を越えて来た父娘だろう。」
足跡を読む老人が住む砂漠は、インドとパキスタンにまたがる国境線。
かつては国境線などなかった広大な砂漠であったものの、今では立派な鉄条網までが張り巡らされている場所もある。
インドとパキスタンが分断されたのは、第二次世界大戦が終わって間もない1947年。イギリスから独立した時に「二つに割れた」のだ。
なぜ割れたのかといえば、それは宗教の違いが大きかった。ヒンドゥー教徒が多数を占めたインドに対して、パキスタンにはイスラム教徒が多かった。
※かのマハトマ・ガンジーは、ヒンドゥー教とイスラム教の融和を夢見たものの、その夢の途上で凶弾に倒れた人物である。
1947年の分離独立当時に引かれた国境線は、少々乱暴に引かれたようである。
ある国境線は一つの村の真ん中に引かれたために、兄の家はインド、妹の家はパキスタンになってしまった。一つの家族の間に、突然国境が出現したのだ。
ある村には一つしか井戸がなかったのだが、その井戸はインド側になってしまった。そのため、パキスタン側の村民は毎日国境を越えて水を汲みに行くことに!
「地図上で引かれた線」は、一つであったものを徒(いたず)らに二つに割ることになってしまったのだ。
それでも、「昔は国境の向こうに自由に行くことができた」
なぜなら、国境には鉄条網もなければ、警備隊もいなかったのだ。
長い長い鉄条網が設置されたのは今から20年ほど前(1990年頃)。
それ以来、「分離の悲劇」は悲しみの度を増していくことになる。
砂漠の国境を越えて嫁にいく女性は、何も好きこのんでそうするわけでもない。
インドでは同一氏族内での結婚が許されないこともある。しかし、異なる氏族は国境を越えたパキスタンにしかいなかったりするのだ。
国境を越えて結婚したはよいが、今度はおいそれと故郷に戻れなくなることもしばしば。時には年老いた両親と会えなくなり、幼い子供とも顔を合わせられなくなったりもする。
ある女性は結婚してから20年近く経つものの、夫と一緒だったのは「たった4年間だけ」。
たまりかねた夫は密入国を試みるも、あえなく刑務所送りとなってしまった。
「私の人生は過ぎていくばかりです…」と、その女性はつぶやく。
インドとパキスタンの国境は、通常通りパスポートとビザがあれば行き来できるはずである。そして、それは申請さえすれば認可されるはずである。
ところが、その申請は「複雑で面倒すぎる」のだという。
「都会に着いても国境地帯への立ち入り許可が必要な上、煩雑な書類も要求される。コネかツテがない限り、とうてい無理だ。」
さらに、「申請に行くにも相応のお金がかかる。その交通費やら宿泊費やら…」
何とかビザを取得しても、「女だけでの一人旅が許されない」こともある。
インドとパキスタン両国に横たわる砂漠には、その自然環境以上に厳しい壁が、見えなくも立ち塞がっている。それは人間が作り上げたカベなのだが…。
砂漠の足跡を見つめる老人の目は優しい。
彼には足跡の「善悪」までが見えてくる。
「心に悪意をもつ人物は、その足跡で分かる。子供に会いに来た母親の足跡とは全く違う。」
本当に足跡を読むには、「2つの目だけでは不十分だ」と老人は語る。
「心の眼」で見なければ、真実は浮かび上がってこないのだという。
ある時、その老人はある足跡を見て、「犯罪者のものではない」と直覚した。
その足跡が密貿易でもテロリストでも泥棒のものでもないと感じれば、老人は「見逃す」。しかし、警察は「なぜ逃がすのか」と老人を問い詰める。
「ただ、わしの心がそう言うだけじゃ…」と老人は苦しそうに答える。
砂漠を横切る足跡には、邪(よこし)まな心をもった者や過激な思想をもった者のものもあれば、純粋な想いだけの足跡もある。
ただ、母親に会いたい一心の足跡もあるのである。そんな足跡はまっすぐと自然な軌跡を残すのだという。
「この足跡は崩れている」
老人の指差す足跡は醜く歪んでいる。なぜなら、斜めになった地面のせいで足跡が安定しないからである。
「地面が平らであればハッキリとキレイに残る足跡も、斜めの地面となるとそうはいかない。地面が変われば、足跡も変わるのだ。」
国家という土壌が日本のように安定していれば、そこにキレイな足跡を残すことはそう難しくないのかもしれない。
しかし、インドとパキスタンの国境のような不安定な砂漠においては、その足跡は崩れがちにもなるだろう。
老人の聡(さと)い眼にかかれば、その地面による足跡の乱れなどはモノの数ではない。
たとえ、その足跡が履いている靴を履き替えようとも、老人の眼はその本質を常に見抜く。
「サンダルを履いていようが、編み上げ靴を履いていようが、足跡の曲がり具合は素足と一緒だ。歩き方はいつも変わらない」
我々は自らの人生にどんな足跡を残しているのだろうか?
それは直立して歩くようにまっすぐなものだろうか。それとも、身体をフラフラと揺らしながら、オドオドしているのだろうか。
たとえ歩きにくい道とて、堂々と歩く者がいる一方で、舗装されている道の上でさえ、歪んでいる足跡もあるのだろう。
インドとパキスタン。
「地図上に引かれた線」は、確かに何かを二つに割った。
しかし、それでも二つに割れないものも確かにあった。
「来る者は必ず来る」。それが不法入国だとして、警察に発砲されたとしても。
国境をはさんだ母子が会いたいと思った時、国境の向こうの老婆が病の床にあると知った時…。「来る者」は何の悪意もなく来るのである。
どんなに優れた銃弾でさえ、「止められないもの」はあるのである。
足跡を読む老人の「心の目」は、それをよく心得ている。
二つに割れないものを割ろうとしたのは、人間の浅はかさに過ぎないのだろう。
カラカラの砂漠とて「雨」が降ることがある。
そして、その雨が「虹」をつくることもある。
インドとパキスタンの国境砂漠にかかる虹は、その「境」などを知りはしない。
ただただ、果てしない大きさで天空を翔るのみである。
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出典:シリーズ「国境」インド足跡を読む術
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