2012年7月10日火曜日

ナイジェリアの血(石油)


「石油を売れる商品にするためには、『石油と水』を分離して混ざらないようにしなければなりません。

水には価値がありませんが、石油は高価です。水の混入を最小限に抑えたものを世界中に送り出すのです」



ここは、アフリカ・ナイジェリア沖合いのギニア湾洋上。この海には巨大な海底石油の掘削施設「FPSO(浮体式・海洋石油ガス・生産貯蔵積出設備)」が浮かぶ。

この「アクポ油田」が海底数千mから掘り出す石油は「コンデンセート」と呼ばれるもので、比重が小さく粘り気の少ない上質なモノである。その上物でも、「石油と水」をキチンと分離しなくては売りモノにならないと、その責任者は言うのである。







◎ナイジェリアの血


ナイジェリアという国は、世界有数の「産油国」の一つで、その生産量は世界12位、輸出量で世界8位である。

ナイジェリア政府の収入のじつに80%は、この天の恵みたる石油によるものであり、それゆえに同国の石油は「ナイジェリアの血」とも呼ばれるのである。この「血液(石油)」無しに、もはやナイジェリアは成り立ち得ない。

いうなれば、ナイジェリアは自分の血(石油)を世界中に売りさばくことによって、巨額のマネーを手にしている。しかし、これは自傷行為のようなものであり、ナイジェリアの国内では「別の血」も多く流れている。

潤沢な石油を巡って、国内の対立・内紛は独立以来絶えることがなく、現在に至るまで、ついぞ政情が安定することはなかったのであるから。



◎「石油漬け」にされた政府


ナイジェリアの石油収入は年間1兆2000億円。しかし、この収入の3分の2にも相当する8000億円は「使途不明」のままに消えていく。それほどに政府は腐敗している(腐敗指数、世界130位)。これは明らかに「石油漬け」による放漫財政によるものである。

その悲しい結果が、「国民の貧困」である。海底深くから吸い上げられる石油は、ナイジェリア国民の知らないところへと運ばれ、その莫大な収入は彼らの知らないうちに霧消してしまうのである。



ナイジェリア自身に海底数千mをも掘り進む高い技術力があるわけではなく、その仕事は「外国企業」の受け持ちである。

たとえば、冒頭に記したアクポ油田のFPSOは、フランス資本のトタル社(スーパーメジャー6社のうちの一つ)が請け負っている。そこで働く技術者や労働者の多くも海外からやって来る。



◎石油湧く、ニジェール・デルタ


ナイジェリアのニジェール川河口のデルタ地帯は、イギリスによる植民地時代から「オイル・リバーズ」と呼ばれていたほどエネルギー産業には縁深い土地柄である(当時はアブラヤシの生産。アブラヤシから取れる油脂は植物中屈指である)。

アフリカ最大の産油国であるナイジェリアの75%以上の石油は、この「ニジェール・デルタ」より産出している。すなわち、ナイジェリアは国土のたった7.5%しかないこのニジェール・デルタから、その収入のほとんどを得ているのである。





◎分離される地元住民


この地域一帯に住む住人は、およそ2000万人以上。40以上の民族が250以上の言語を話しながら暮らしている。しかし、彼らが国の主要産業である石油に関わることはほとんどなく、当然、その恩恵に預かることもまるでない。

このデルタ地帯から海を眺めれば、ひっきりなしに石油を満載した大型タンカーが行き来しているのが見える。24時間営業でナイジェリアの血を吸い上げる知らない外国人たちが、海のかなたでしきりに蠢(うごめ)いているのである。

ナイジェリア政府と癒着した外国企業と地元住民の関係は、まるで「水と油」のようであり、石油産業にかかわる人々は、極力「水」が混じらぬように努めているようでもある。その油を上質なモノに保つために…。



◎原油流出は日常茶飯事


その上質なオイルのもたらすマネーは地元住民に還元されないばかりか、毒ばかりを撒き散らす。

村内を堂々と横断するパイプラインからオイルが漏れ出すこともあれば、海の向こうから黒い油が流れて来ることもある。ある漁師が朝、目を覚ましたら、漁場としていた森がすっかり炎上していたなどということもあったという。





ニジェール・デルタで伝統的に暮らしてきた人々の生業の多くは「漁業(もしくは農業)」である。しかしもはや、良質の魚たちは良質の油のために、すっかり棲む場所を追われてしまっている。



◎おびえる富裕層


ナイジェリア国民でも、石油産業に携われた人々は幸運である。彼らは人も羨むような豪邸にその身を休ませることができるのだから。

しかし、その幸福に浸ってばかりもいられない。その裕福な様は、貧しい人々の嫉妬心を煽るどころか、むしろ「攻撃の対象」となってしまう。ある企業幹部のナイジェリア人は、かわいい子供たちが「誘拐」されるのではないかと、ひとときも気を抜くことができずにいる。

自家用車で子供たちを幼稚園に送り届けるのだが、運転手を信頼することもできないため、自らがハンドルを握らなければならない。さらに安全を期すために、幼稚園のできるだけ近い場所に車を停め、3人いる子供たちを一人づつ建物の中の安全な場所まで丁寧に送り届ける。もちろん、子供の残っている車にはカギをかけて。



そこまでするのには、十分な理由がある。

あまりに酷すぎる富の格差に、ナイジェリア国内からはゲリラ的な「武装組織」がタケノコのように勢いよく育っているのだ(雨後の筍ならず、「油」後の…)。彼らの主な収入源は、武器の密輸・密売、そして「誘拐や脅迫」などによる外国資本からの身代金なのである。

武装組織の手法はまったく好ましいものではない。しかし、彼らに言わせれば、ナイジェリア政府や外国企業は「輪をかけて卑劣」なのだ。



◎ある武装組織の声


MEND(ニジェール・デルタ解放運動)という武装組織は、そうしたゲリラ組織の中でも最大規模を誇る。彼らはかつて、正義の破壊活動により主要なパイプライン3本を爆破して、原油価格を一時的に高騰させたこともある(2007)。

その司令官は訴える。

「ナイジェリアの住民は過去半世紀にわたって、『奴隷』のように使われてきた。これは現代の『植民地主義』だ。時代が変わったのに、先進国のやっていることは植民地時代と変わらない。

住民たちの権利を押さえ込むために、石油会社は地元の部族長や政府高官に賄賂を贈っている。そして、住民の団結を妨げ、操り人形のように住民を支配しているのだ。

これはまさに新しい植民地支配。何も変わっていない!」





MENDの抱える直接の戦闘員は数百人規模であり、彼らゲリラ兵たちはニジェール・デルタのマングローブに潜んで訓練を行っている。しかし、その幹部はといえば、ナイジェリアの都市部や外国に暮らしているのだという。

直接戦闘に関わる兵士は、巨大勢力同士の軋轢によって生じた、いわば「石油の落とし子」。水と油のように接点のない富裕層と貧困層の間に生まれた「必然」でもあり、過激な犠牲者でもあるのである。



◎禁じられても燃え続ける「地獄の火」


ふたたび、ニジェール・デルタに目を戻すと、そこには石油企業の燃やす火が見えた。油田内の圧力を逃すために、一日中ガスの火が燃えているのである。

潤いのある油田においては、あまったガスを利用するよりも燃やした方がコストがかからないのだという。だが、その燃やす量は決して半端なものではない。ある専門家が指摘するには、その燃やされるガスだけで「アフリカ大陸全体のガス需要をまかなえる」ほど膨大な量なのだという。



その一方、その燃える火の熱さが伝わるほど近くに住んでいる住民には、一握りのガスの分け前もない。貧しい漁村に暮らす住民のエネルギー源は、昔からの「薪」であり、隣りが油田だからといって、何の得もないのである。

いやむしろ、そのガスの火の放つ悪臭は耐え難く、その燃焼によって発生する有害物質は酸性雨の原因ともなり、住民の貴重な飲料水を汚染してしまう。それゆえ、2005年にそうした行為は禁止されているのだが、その火はいまだに燃え続けている。

住民たちはその火を恨めしそうに睨みながら、憎しみを込めて「地獄の火」と呼んでいる。

Source: mubi.com via Hideyuki on Pinterest



◎分裂しやすい自然環境の差


虐げられるニジェール・デルタの住民たちは、悲しいことにあまりにも分裂しすぎているために団結して大きな力を出すことはできない。先にも記した通り、この地域には40以上の部族が暮らしているのである。

これは、武装組織MENDが指摘するように、「団結を妨げる」という政府や石油企業の効が奏している部分も少なくない。というのも、ナイジェリアという国は長らく(そして現在も)国内の対立が起こりやすい歴史を抱えているためでもある。



ナイジェリアの北と南では、気候が一変する。北の大地はサハラ砂漠であり、カラカラに乾いている。一方、雨量に恵まれた南部は、熱帯雨林に覆われ、その豊富な水はニジェール川を形成し、その河口がニジェール・デルタとなる。

より開放的だったのは北の砂漠である。サハラ交易により、種々雑多な人々が行き交い、その分、文化も発展した。一方、密林に覆われた南部には極めて閉鎖的、分断的な社会(部族)が形成されていた。別の見方をすれば、土地の生産性の高かった南部は、他者をあまり必要としなかったのである。



◎呼んでもいない訪問者


閉鎖的な南部の扉が強制的に開かれるのは、海の向こうからポルトガルの船がやって来てからである。これは世に言う、ヨーロッパの大航海時代であり、アフリカでいう植民地時代の始まりである。

ポルトガル人の持ってきた「銃」は、南部国家の軍事力を強大にした一方で、争いの頻度は増し、その被害をより悲惨なものへもしてしまった。弱き者は「奴隷」とされ、次々と海の向こうのアメリカ大陸へと売りさばかれていくことになったのだ(「奴隷海岸」というのは、ニジェール・デルタの過去の名である)。

ナイジェリアを本格的に支配したのはイギリスであり、奴隷の売買が禁止された後、そのデルタ地帯一面にアブラヤシを植えた。広大な熱帯雨林を焼き払って…。



◎人の心を分かつ宗教


歴史的に北部と南部の境目のハッキリしたナイジェリア。宗教的にみれば、北部はサハラ交易によってアラブ世界からもたらされたイスラム教、南部はヨーロッパのもたらしたキリスト教である。

すなわち、気候のみならず、人の心までがナイジェリアの南北を「水と油」の関係にしていたことになる。

そのため、1960年の独立当時、ナイジェリアはまず南北、そして南部を東西の3つの州に分けられた(南部が東西に分けられたのは、半分がイギリス、もう半分をフランスが支配していたためである)。



◎意図的に分断された民族


もとも反目しやすい3州の分割は、その対立を深めるばかりであった。そして、東西に分裂した南部よりも、一体となっていた北部が優勢になるのが常であった。

そこで時の政府は考えた。「州をもっと分割すれば、対立は緩和するのではないか?」と。そうして、政権が変わるたびに州は細分化されていき、最終的には現在の36州にまでコマ切れとなった。



しかし、こうした分断政策は残念ながら裏目に出た。

もともとは3大勢力の下に抑止されていた少数民族が、ここぞとばかりに点でバラバラな方を向いて、自らの主張するようになってしまったのである。民族紛争は減少するどころか、本格化してしまったのだ。

独立後のナイジェリアは、クーデターがクーデターをひっくり返すことの繰り返しであり、民政に向かえば向かうほど分裂し、民主化するほどに腐敗していった。



◎漁夫の利を得たのは…


こうした政情は、ナイジェリア国民に内戦や内紛といった不利益ばかりを与え続けていたわけだが、石油に代表されるような外国勢にとっては、都合が良いばかりであった。

団結することのない住民は御しやすく、その対立の間を縫って進むように、その力を拡大できたのである。こうして、ナイジェリア国民の不満は水底深く沈められ、その表層は石油産業という厚い油に覆われることとなったのである。



その水底からは絶えることなく不満の声が上がってくる。しかし、その声は細かく分断されているために、水草の出すようなプクプクとした小さな泡にしかならずに、とても厚い油の壁を破ることは適わない。

まれに、MEND(ニジェール・デルタ解放運動)のような大きな水泡も現れるが、そうした大きなモノに限って、必要以上に「過激化」してしまうために、逆効果ともなってしまう(声を大にするために過激化するのではあろうが…)。



◎黒を意味する「ニジェール」


肥沃なニジェール・デルタは、その権力争いの激戦地となり、その覇権は石油産業のものとなっている。

伝統的な漁業のことなどいざ知らず、その美しかった水は、いまや流出した石油で黒光りしている。この川の名前である「ニジェール」というのは、ラテン語で「黒」を意味するわけだが、まさかその黒が「石油の黒」にもつながってしまうとは、なんという皮肉であろう。





◎たくましき住民たち


生業を奪われた住民たちには、したたかな一面もある。杜撰な石油管理によって漏れ出る石油をすくい集め、それを自ら精製して売るモノもいるのである。

「まず、原油が流出している箇所を見つけ、そこへ潜って川底を掘り、パイプラインから漏れ出している箇所を探すんだ。そこへホースを取り付ければ、ポンプで原油を取り出すことができるんだ」





パイプラインから抜き取った原油を、自前のドラムカン精製所へと運び込む。「はじめに灯油が精製され、青いディーゼルが出たら終わりだ」。残った油は、次の精製のための燃料とされる。

流出した原油を精製する方法は、石油会社を退職した技術者から学んだものだという。彼らに2000ドルを支払えば、パイプラインに新しい穴を開けてもらうことも可能である。





◎なぜか、国内で不足する石油


こうした違法石油は、国内の闇市場でさばかれる。路傍にポリタンクを並べておけば、地元住民だけでなく、よそから来た人々も買っていく。ナイジェリアは世界有数の産油国でありながら、国内の石油は圧倒的に不足しているのである。





公式には石油の恩恵を受けられない地元住民ではあるが、こうした違法行為が黙認されることで、そのオコボレに預かることができるのだ。

石油企業が黙認するのは、原油流出という負の側面を闇のままにしておくためであり、住民の不満のハケ口にするためでもある。圧力が高まりすぎて爆発しないように、少しずつ不満の火を燃焼させておくのである。それはあたかも、油田の圧力を抜く「地獄の火」のようでもある。



◎何も変わらない…


「ナイジェリアは世界中に石油を供給して石油会社を潤わせているけれども、結局のところ、相変わらず国は貧しいままだ」

そう言われるのが現実である。巨額のオイル・マネーは政府と企業のものであり、その恩恵にあずかるには法を犯すより他にない。石油企業にとって、「水と油」を分離する技術はお手のもの。水と油が巧みに分離されたシステムは、ナイジェリアという国内に完璧に整備されているのである。



「人生はそもそも不公平」

洋上に浮かぶ不夜城、石油掘削施設「FPSO」の責任者は、そう嘯(うそぶ)く。その巨大なタンカーの群れは、地元住民の小さな漁船をアザ笑うかのように、悠々と世界の海へ向けて旅立ってゆく。

地元住民たちの鬱憤は、過激な武装組織や違法な原油精製という形しかとりえないために、それらは石油企業に大義を与えるだけである。

Source: total.com via Hideyuki on Pinterest




◎好ましからざるグローバル化


歴史上、グローバル化がナイジェリアの庶民のためになったことは未だない。

何の不足もなく暮らしていたはずのニジェール・デルタの住民たちは、外国船が現れるや「奴隷」とされ、イギリスの産業革命のために熱帯雨林が伐採され、そして今、世界の先進国のために汚染された「黒い水」を飲まされている。



われわれ先進国の住民は、本来であれば武装組織MENDを非難することも、違法な原油精製を止めさせることもできないはずである。なぜなら、これらの悪事は、もっと根深い巨大な何モノかの上に咲いた小さな花にすぎないのだから。

世界の国々が石油を使い続ける限りにおいて、ナイジェリアの統計数字は潤い続ける。しかし、その数字は決して国民の豊かさを表すものではない。むしろ、その数字が大きくなるほど、庶民は下へ下へと抑圧されていることを意味する。

現代文明が石油に依存し続ける限り、水と油は見事なまでに分離され、ナイジェリアの血は流れ続けるままなのだろう。潤った人々にとっては「石油」を意味するその血も、ある人々にとっては文字通りの「血」なのである。






関連記事:
石油大国のサウジアラビアが石油を輸入する日。

自然を守ることは、貧しくなることか? セーシェルの克服した現代の矛盾。

かつては原油の黄金時代を謳歌したアメリカは、現在、原油の言いなりになっている。栄枯盛衰のアメリカ・原油の歴史。



出典・参考:
BS世界のドキュメンタリー シリーズ 調査報道
「ナイジェリアの血~産油国からの報告」

0 件のコメント:

コメントを投稿