「バベルの塔」というのは、人間の「傲慢(ごうまん)さ」の象徴だというのだが…。
聖書の記述に従うのならば、世界に「無数の言語」が生まれたのは、この「バベルの塔」が起因となっている。
バベルの塔「以前」、世界中の民は皆「同じ言語」を用いていたとされている。彼らは「ただ一つの民族」でもあったのだ(民は一にして皆一の言語を用ふ)。
ところが、バベルの塔「以後」、世界の民は分裂し、それぞれの言語を話すようになり、互いの言葉が通じ合わなくなったとされている。
それゆえ、「バベル」という単語は、「混乱」を意味するようになったのだという。
※一説によれば、バベルという単語(ヘブライ語)は、もともと「バブバブ(赤ちゃん語)」のように意味のない言葉(喃語)であったとも。バブーの塔?
バベルの塔の建設を始めた民は、「ノアの方舟」によって、辛くも大洪水を生き抜いた末裔たち。
ノアの子孫である「ニムロデ」は、とんでもない大洪水を起こした神様に「復讐」を誓う。ニムロデは大洪水によって一族が滅びかけたことに我慢がならなかったのだ。
「神に従うことは、その奴隷になることに等しい!」と息巻いたニムロデに、多くの民衆は賛同し、神様に対する挑戦として、とんでもなく高い塔の建設を開始する。その塔こそが「バベルの塔」である。
当時の土木技術は、石から「レンガ」、漆喰から「アスファルト」に革新しており、前時代よりもはるかに高い建造物の建設が可能となっていた。
そんな彼らにとって、天をも超える建造物を造り上げることは、単なる夢物語ではなかったのである。
着々と建設が進む工事現場。早くも7層目の建造に着手している。
その様を見た神様は、怒ったのか慌てたのか?
「人間たちが何をやろうとしても、それを妨げることはできない」と諦めを示しながらも、「こんな事態になってしまったのは、人間たちが『一つの民』で、『一つの言葉』を話しているからに他ならない」と結論づける。
そこで一計を案じた神様は、地上に降りて、人間たちの話す言葉を「混乱」させた。
すると、人間たちはお互いの話す言葉が理解できなくなり、協調して作業をすることなど叶わなくなってしまった。
こうして、一致団結していた人間たちはバラバラになり、世界各地へと散り、それぞれがそれぞれの言葉を話すようになったのだという。つまり、世界は混乱(バラル)してしまったのだ。
肝心の「バベルの塔」はというと…、その野心的な計画は、神様の思惑通りに立ち消えとなってしまっていた。
神様に挑戦しようとした「傲慢な人間たち」。
「バベルの塔」の示すものは、その傲慢さへの「戒(いまし)め」と言われている。
「創世記」前半の神話的世界に登場する「バベルの塔」ではあるが、その「実在」も確認されいてる。
「ジッグラート」という螺旋(らせん)型の塔が、バベルの塔のモデルであるとされ、チグリス・ユーフラテス川の周辺では22の遺構が発掘されている。
あるジッグラートは高さ90mの7階建てで、最上階には神殿があったという。
※7つの各階が各曜日の始まりといわれており、1階が土星、2階が木星、3階が火星、4階が太陽、5階が金星、6階が水星、7階が月となる(一週間を7日にしたのも、彼らであるという)。
このチグリス・ユーフラテス両大河に囲まれた地域は、よほどに豊穣な土地であったらしい。
「肥沃な三日月」とも称されるこの地域は、人類文明発祥の地との呼び声も高く、「メソポタミア」という文明が栄えた地であるとも考えられている。
※メソポタミアという言葉の意味は、「川のあいだの地域」。
一般的に知られる古代文明というのは、チグリス・ユーフラテス(メソポタミア)、ナイル(エジプト)、黄河(中国)、インダス(インド)の「世界四大文明」ということになるが、それらの先鞭をつけたが、他ならぬメソポタミアだということだ(紀元前3,500年頃)。
※ある説によれば、メソポタミアで発祥した文明が、およそ500年後にエジプトへ伝わり(紀元前3,000年)、それがまた500年後にインド(紀元前2,500年)、最後に中国に波及した(紀元前1,500年)ともなる。
これら各文明の伝播に関しては異論多きものの、メソポタミア地域が肥沃であったことに異論は少ない。
チグリス・ユーフラテス両大河の流域面積だけでも、日本の国土の2倍以上という広大さでもある。
豊かだったからこそ、人が集い、都市ができた(文明を意味する「cilvilization」は、都市化という意味でもある)。
そして、人の力が集約されたればこそ、「バベルの塔」のように巨大な公共事業も可能となったであろう。
その彼らが一つの民族で、一つの言語を話していたという確証はないものの、都市に巨大建造物を造ろうとする人間の思いは、今も昔も変わらないのかもしれない(先ごろの日本には、世界で2番目に高い塔が完成したばかりだ)。
「バベルの塔」に神様が怒ったのだとすれば、それは暴走しすぎた人間に対する警告なのでもあろう。
都市という富は、人々を豊かにする一方で、人々を争わせもするのだから。
事実、地球上で最も肥沃であったメソポタミア地域ほど争いの多き土地も、世界的に珍しい。
シュメール人が起こしたと言われるメソポタミア文明は、アッカド人に征服され、次いでバビロニア、ヒッタイト、アッシリア…。さらには、ペルシャ、ローマ…。
そうそうたる歴史上の大国が、この地を覇権争いの場所としたのである。
その争いは、今なおやむ気配がない。
現在、この地域を領有するのは、シリアとイラクであり、両国ともに何かとニュースの紛争・戦争ネタに尽きない地域でもある。
そんな人類の歴史を知ってか知らずか、チグリスとユーフラテスの両大河は滔々と流れ続ける。
その源流は、トルコのアナトリア高原に求められ、その富をもたらす源流の地は「エデンの園」ともされている。そのエデンの園から流れ出る一つの河川は、4つに分かれた。そして、その内の2つの河川がチグリスとユーフラテスになるのである。
※エデンの園から湧き出た水が4つの河川となったことを、世界4大文明への波及と重ね合わせる人もいる。
そんな天の恵みが醸成されたメソポタミア文明。
人間たちが天にまで届けと願った「バベルの塔」は、その文明の隆盛を物語るものでもあり、盛者必衰の理(ことわり)を表すものでもある。
富が結集し、人々がそれらを求めて争い、富は再び散っていく。一つの言語が多様な言語に分かれゆく様は、そんな連想をも想起させる。
「バベルの塔」を描いた傑作とされる絵画は、「ブリューゲル」の筆によるものだ。
「農民画家」とも称されたブリューゲルの筆は、じつに皮肉である。
権威ある王が命じる命令に、平身低頭の民衆たち。
ところがその一方で、ゴロゴロと寝そべったり、ケツを向けている民衆たちもいる。
革新技術であったレンガやアスファルトが多用され、バベルの塔は雲を突き抜けるほどに空高い。
しかし、上へいけばいくほどに歪んでいくバベルの塔。そのまま積み上がっていけば、自らの重みで崩壊してしまいそうにも見える。
自然の岩山は無残にも切り崩され、その上にバベルの塔は建設されている。
ブリューゲルが筆を握ったのは、今から450年前の16世紀半ば。
彼の生地は現在の「ベルギー」、海に面したこの国は海外との交易で大いに栄えており、とりわけ、香辛料(コショウなど)は同国にとんでもない富をもたらしていた。
現在、金融取引の中心となる「証券取引所」というアイディアは、この国で生まれ、世界初のそれが莫大な富を何倍にも膨れ上がらせていたのだという(現物なしでも、紙切れがその代用をはたす)。
※ある説によれば、資本主義が始まったのは、この時、この地においてであるともいう。
ブリューゲルの皮肉な筆は、壺に入ったコインと、箱に入ったコインが争う合うシーンをも描き出している。
おそらく、ブリューゲルの眼には、人間の限りなき欲望が浅ましく映っていたのであろう。
「聖マルティン祭のワイン」という作品に描かれた人々は、聖なるお祭りとは程遠いほどに浅ましい。
我先にと樽をよじ登ってまで、ワインの争奪戦が繰り広げられ、運良くワインにありつけた人々は、泥酔してなお、飲むことをやめようとしない。
この絵画には、「その時の自分さえ良ければ、それで良い」という風刺が込められているのだという。
また、「十字架を担うキリスト」という作品においては、肝心のキリストの存在が、群衆の喧騒にかき消されており、人々は今この場で何が起こっているのかを、正確に理解していない様が描かれている。
キリストのいない刑場に、人々は嬉々として駆けつけ、キリストでない人を刑場に引っ立てようとまでしている。
この作品には、「重大な事が起きようとしているのに、誰もその重大さに気づいていない」という皮肉が描きこまれているのだという。
「人間は何をやりたいのか?
そして、彼らは一体どこへ行きたいのか?」
当時のブリューゲルならずとも、そんな問いを心に抱く人々は、現代には数多いのかもしれない。
ブリューゲルの静かなる警鐘をよそに、金融、そして資本主義はその後の世界を席巻し、現代の人々はバベルの塔顔負けの巨大建造物を世界各地に林立させている。
かつて、バベルの塔を戒(いまし)めた神様は、力の集中しすぎた言語を様々に分化させることで、その力を弱めた。
現代にもその神様はいるのであろうか? 豊かになった現代社会は、おのずから多様性を求め始めているかのようである。
世界各国に根強く残っていた「独裁」というスタイルは、もはや絶滅寸前である(その内の一つが、かつてのメソポタミアたるシリアに残っているも、これまた皮肉な話であるが…)。
架空のモノを何倍にも取引することで富を増大させる現代の金融システムは、リーマンショック(2008)、ソブリン(国家)問題たるユーロ危機を経て、いまや自らの歪んだ重みに耐えかねている。
「バベルの塔」という大昔の物語は、なんとなんと現代にも相通じるものがあるではないか。
歴史はどれほど繰り返せば、その気が済むのであろう。
繰り返しながらも、少しずつ少しずつ螺旋(らせん)のように上昇しているのだろうか?
その螺旋(らせん)が、ブリューゲルの描いたバベルの塔の螺旋のように、歪んでいないと良いのだが…。
出典:極上美の饗宴
「リアルな幻建築~ブリューゲル“バベルの塔”」
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