2012年6月8日金曜日

世界最大のホーム・ビデオから見えてくるもの


その子は一歳になった頃、「水(water)」のことを「ガガ(gaga)」と呼び始めた。そしてそのガガは、およそ半年をかけて「ウォーター(ワラ)」までたどり着く。

もちろん、その子の覚えた言葉はそれだけではない。生後9ヶ月目頃から言葉らしきモノを発し始めた彼は、およそ2年間で503語をマスターした。

父親のデブ・ロイは、「うちの子、賢いだろ?」と言うのだが、その返答には窮せざるを得ない。というのも、自分の子供の覚えた言葉を、彼ほどマメに記録している親もマレであろうから…。




デブ・ロイのマメさは、度を超している。なぜなら、彼のホーム・ビデオは「世界最大(自称)」である。

彼の家のすべての部屋(赤ちゃんの部屋、キッチン、リビング、玄関…)の天井には、カメラとマイクが設置され、赤ちゃんのみならず、パパ・ママ・ベビーシッター等の言動が24時間体制で、すべて録画・録音されている。

最初の男の子が生まれてから3年間、延べ25万時間もの音声・映像がすべて記録されているのだ。その膨大な容量は、およそ200テラ・バイト。

※テラ・バイト(TB)は、ギガ・バイト(GB)の1,000倍。



当然、これは趣味の領域を超えいる。これは立派な「研究」なのである。冒頭の「水(ウォーター)」に関しては、「環境が言語習得に与える影響」を調べた結果の一つである。

何十時間という映像・音声の中から、「水」という言葉に関する発言だけを抽出して再生すれば、およそ半年の言葉の変化(ガガ→ワラ)を、わずか40秒で表現することも可能になる。

それは「花が咲く様子の早送り映像」のようなものであり、言わば「言葉の開花」の早送りである。



言葉をまったく知らない赤ちゃんが、どういう言葉をどういう順序で覚えていくのか?

膨大なデータを分析した結果、ひとつの興味深い事実が浮かび上がってきた。まだ言葉を理解しない赤ちゃんでも、周りの人々の発する「音」はちゃんと聞いている。

たとえば、「水」という言葉の音は、大人たちの会話や話し掛けに度々登場するであろう。しかし、最初の頃は比較的「長い文」の中にしか、「水」という音は登場しない。というのも、大人たちは赤ちゃんが言葉を分かっているとは思っていないからである(実際、理解していないであろう)。



ところが、次第に赤ちゃんのリアクションが得られてくると、親たちのほうも意識して、「水」という言葉を赤ちゃんは分からせようとするようになる。

すると、それまでは長い文の中でしか聞かれなかった「水」という言葉は、分かりやすい「短い文」の中でも聞かれるようになる。



こうして、「親たちの言葉はどんどん簡略化され、ある時、最小限にまで抑えられる」。そして、それは「水」という単独の言葉ともなる。

まさに、その時である。赤ちゃんが言葉を覚えるのは。

その後、赤ちゃんが理解していることが分かった大人たちの発言は、ふたたび複雑化していく(長くなっていく)。応用の始まりだ。



長かった発言が次第に簡略化され、それが最小限になった後、ふたたび複雑化する。その最小限になる「折り返し地点」で、赤ちゃんは言葉を覚えるのである。

この過程で興味深いのは、「赤ちゃんも親も、お互いから学んでいる」ということである。そこには、予想以上に強い「相互作用」が存在していることが明らかとなった。



また、言葉と行動の関係も不可分である。

「どんな時に聞いたか」によって、「いつ覚えるか」が変わるのだ。

赤ちゃんが「いつどこで」、「水」という言葉を聞いたのかを、膨大な映像から検索して、人々の動きの軌跡を家の見取り図の中に可視化させると、そこには「言葉の地形(wordscape)」が現れる。



「水」という言葉は、当然のように「キッチン」に集中している。

キッチン周辺には「水」という言葉が「山」にようにウズ高く積み上げられ、あたかも巨大な山脈のようである。同様に、「バーイ」の山脈は「玄関」に形成されることになる。




デブ・ロイの研究は、こうした時間的・空間的に動的な「流れ」を可視化することを得意としている。

たとえば、テレビで放送される全映像を分析すると同時に、そこに何億件というソーシャル・メディア(ツイッターなど)のコメントを重ね合わせていく。

すると、そこにはまたしても「言葉の地形」が現れてくる。



テレビを見ている人々は、「時間的」には同時に見ていても、「空間的」には点でバラバラな場所で見ている。

ところが、デブ・ロイの手法を用いて各人のコメントを線で結んでみると、それはある番組に集中していたり、ある人のコメントが別の人のコメントとつながったりと、それはまるで「バーチャルなお茶の間」のようになっている。

アメリカ全体が巨大な茶の間となって、何万人という人々が同じ番組(オバマ大統領の演説など)を見て、好き勝手言っており、時には「会話」をしているのである。




テレビ放送が生み出す「言葉の地形」は、「視聴率」という評価とはまったく別次元のものと言える。

その地形には、番組ごとの「人々の関心の高さ」が、より正確に明示されているのである。人気のある番組には、高層ビルのように天井知らずのコメントが積み上がる。




インターネット上に存在する膨大な量のデータは、人々が感覚的に捉えている「社会」というものを、可視化できる可能性を秘めている。

それは世論調査などよりも正確に「社会の声」を拾い上げることを可能とするかもしれない。「いつ、どこで、誰が、何を言ったのか」。それは、すでにソーシャル・メディアの中に大量に蓄積されているのであるから。

幼児の生育過程を追うように、社会の変化の過程を可視化することも不可能ではないのである。



さて、ここで話はデブ・ロイの息子に戻る。

彼自慢の巨大なホーム・ビデオには、「2歩までしか歩けなかった息子」が、貴重な「3歩目」を歩み出す瞬間が捉えられていた。



「息子が歩きそうだ。がんばれ!」

これは「特別な瞬間だ」とデブ・ロイははっきり意識していた。その時の彼は息子と一緒に廊下におり、妻は少し離れたキッチンにいた。



「なんと、一歳の息子のほうでも『これは特別な瞬間だ』と感じたようだ」

息を吸って、「わぁ」とささやく。それに釣られて、父であるデブ・ロイも「わぁ」。



「さぁ、おいで」

「できる? できるかな?」

「母さんっ! 歩いたっ!」




言葉が生まれる瞬間、そして、歩み出す瞬間。

世界最大のホーム・ビデオを持つデブ・ロイは、貴重なすべての瞬間を手元にもっている。



そして、その分析のノウハウは、社会という巨大な生物の息吹きをも、白日の下に明確化させようとしている。

現代が「不透明な時代」と称されるのは、まだ見えていなものが多分にあるからなのであろう。もし、社会の変化を「早送り」して、広大な世界を「線で結んで」みれば、そこには知られざる社会の実情が示されることになるかもしれない。

そして、それは過去と現状を示すのみならず、社会の「次なる一歩」の方向性を示唆することにもなるかもしれない。



古人たちは、「己を知る」ということを大変に重視した。

しかし、我々は自分たちの世界の何を知っているのであろうか?

我々は当然のように、自分の発した最初の言葉も知らなければ、最初の一歩を踏み出した時のことをも知らない。それが現実なのである。







出典:
TED Talk デブ・ロイ「初めて言えた時」


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