2012年6月26日火曜日

景気後退により減少した食品廃棄


イギリスの食が変わるつつあるのだとか。

以下、英国エコノミスト誌の記事「Eating and recession (食事と景気後退)」より。



◎景気後退(リセッション)による食品価格の高騰

アメリカ発のリーマンショック(2008)、ギリシャ発のユーロ危機(2009~)などなど、ここ4~5年の一連の金融騒動により、イギリスは正式に「景気後退入り」してしまった。

経済学者たちの言う「景気後退」とは、「2四半期連続してGDPが減少すること」、つまり、「およそ半年間、経済成長のマイナスが続くこと」である。イギリスは昨年第4四半期(10~12月期)にマイナス0.3%、今年第1四半期(1~3月期)にマイナス0.2%、といった具合にマイナス成長が続いているのである。



ユーロ圏でリセッション(景気後退)入りした国は、すでに8カ国(スペイン、イタリア、ポルトガル、ギリシャ…)。ユーロ圏全体では、ドイツの孤軍奮闘により辛うじてプラス成長であるものの、そのプラスは1%にも満たないほど弱々しいものである。

イギリスの財とサービスの輸出の30~40%が「ユーロ圏」向けであるため、ユーロ圏の外側に立つはずのイギリスとて、その寒風を避けることはおおよそ不可能であった。

こうした不況のあおりを受けて、イギリスにおける食品の小売り価格は25%も急騰(2008年比)。家計に占める飲食費の割合いは、70数年ぶりに上昇に転じている。その結果、イギリス家庭の食卓も変化せざるをえなかった。





◎捨てられた健康志向


こうした不況に襲われる以前のイギリスでは、グリーン意識と健康志向の高まりにより、「野菜と果物」の消費は上昇傾向にあった。

「Five a day (一日5皿の野菜と果物)」というアメリカ発の官民一体となった健康運動や、「Weekday Veg (週5日だけのベジタリアン)」などがもてはやされていたのである。

Source: 5aday.net via Hideyuki on Pinterest



こうした傾向は、自身の健康への配慮もさることながら、グルーバルな環境意識の高まりもその背景にあった。

グラハム・ヒル氏が言うには、「私たちは1950年代と比べて、2倍以上の肉を食べています。驚くべきことに、牛肉の生産には野菜の生産の100倍の水を必要とし、その生産で生じるCO2の量は、あらゆる交通手段(車・電車・飛行機・船舶)からの温暖化ガスよりも多いのです」

「週5日だけのベジタリアン(Weekday Veg)」となれば、「肉の摂取を70%減らす」ことになると彼は主張し、「健康のため、財布のため、動物のため、環境のため」にと訴えたのである。

グレアム・ヒル:「ウィークデイベジタリアン(週5日の菜食主義)」のすすめ



こうした健康志向、環境意識の高まりは、ヨーロッパでトップクラスの「肥満率」を誇るイギリス人の心を、少なからずも動かしていた(イギリスの肥満の増加率は70%を超え、2015年までに30歳以上のイギリス人の8割近くが肥満になるという試算もあるのだとか)。

ところが、ここに「ユーロ危機の寒風」が吹き込んできたのである。

庶民の財布は冷え冷えとなり、目には見えない温暖化ガスや、どこで殺されているかも知らない牛たちに構っている余裕はなくなった。明日の地球よりも、今日の食卓の心配をしなければならなくなったのだ。



◎失われゆく余裕


環境・健康志向とともに売り上げを伸ばしていたオーガニック食品は、一連の金融危機以来、21%の急減。

とりわけ、野菜や果物の減少幅は大きい。クイック氏の言うとおり、「Primary proteins (まずはタンパク質)」ということで、食費と一緒に削られるのは野菜や果物だったのである。

それに加えて、「調理」をする余裕さえも失われた。イギリス人の平均調理時間は「一日34分」という記録的な短さにまで短縮されている(Kantar Worldpanelより)。

その結果、ピザなどの「加工済み・調理済み食品」の需要は高まった。「まずはタンパク質」という思いから、肉関係の中食の伸びが大きいようだ。そして、「甘いもの」も忘れてはならない。削るに削れず、いやむしろストレスによってか、その需要は増えている。



◎イギリス人の無関心


もともと、イギリス人という人々は「食への関心」が薄いようである。「イギリスの料理は世界一まずい」とはよく言われることであるが、それは彼らの食への興味のなさの結果なのかもしれない。

「偏食などというレベルではありません。チキン・ナゲットしか食べない人やピザしか食べない人も、よく目にします。フィッシュ&チップス(揚げ物セット)を週に2回も3回も食べていたら、そりゃ太ります(イギリス留学生・徳丸文さん)」




食の選択を自由市場に任せきるのは、少々危険なことなのかもしれない。

自由の旗振り役のアメリカは、世界を牽引する肥満大国なのであり、彼らオススメのマクドナルドは、世界の子供たちを魅了すると同時に、ヘビー級にもしてしまう。

健康的な食物ほど経済原理の淘汰を受けるというのも皮肉な話である。目先だけを見れば、安く手軽な食品に勝るものはないのかもしれないが、長期的な国民の利益を考えた場合、それはのちのち高くつく恐れもある。



イギリス政府が懸念するのはそれである。不健康な食を繰り返す結果としての医療費の増大は、ただでさえ小さくなった国庫を一段と圧迫する恐れがあるのである。

イギリス保健省は、食品メーカーにカロリーを減らすことを要請しているらしいが、そうした努力も、国民が「Cheap and Easy (安く手軽な食事)」に殺到している状況下にあっては、焼け石に水のようだ。



◎購買傾向の変化、そして無駄の減少


財布のヒモの固くなったイギリス人は、「衝動買い(Impulse buying)」が減ったという。スーパーへ行く前に「買い物リスト」をしたためてから家を出るという人の割合が、ここ3~4年で20%も増えたのだという(47%→67%)。

また、一度の大量買いではなく、足繁くスーパーに通うようにもなったともいう。その結果、家庭での食品ロスが少なくなるという思わぬ「恩恵」が…。2006年に830万トンあったというイギリス家庭の食品ロスは、金融危機以降、13%減の720万トンにまで減ったというのだ。

環境と健康を二の次としたはずのイギリス人は、ひょんなところで環境に優しい人たちになっていたのである。



◎日本における食品ロス


豊かすぎる先進国において、まだ食べられるモノを捨てるという「食品ロス」は、日々の食に苦しむ途上国の人々に対して申し訳のない社会問題である。これは当然、豊かすぎる日本とて例外ではない。

世界では全人口の15%にあたる10億人もの人々が、まともな食事をしていないのだという。先進国としての日本は、その義務として途上国への「食料援助」を行っている。

しかし悲しいかな、日本国内では、他国へ援助する量の2倍以上の食糧が「まだ食べられるのに捨てられている」という現状がある。日本語であるはずの「Mottainai(もったいない)」という言葉が、アフリカの人から言われるのも無理はない。




「食品ロス」というと、食品メーカーやレストランなどの業者によるものが多いのではないかと思われるが、意外にも「家庭」のそれもバカにならない。食品ロスの5分の2は家庭から出ているのである。

ロスが多いのは「野菜や果物(ロス率9%)」であり、廃棄の理由の半数以上は「腐らせる(もしくは消費期限切れ)」というものである。




幸か不幸か、10年も20年もまともな経済成長が失われた日本では、食品ロスが一時から半減している。年代別で見ると、低成長時代に育った若い年代ほど食を無駄にする傾向は少ない。

Source: ttcn.ne.jp via Hideyuki on Pinterest



◎三たび吾が身を省みる


前世紀の20世紀という時代、前半は度重なる戦争に苦しめられたものの、その後半、先進国と呼ばれる国々は大いなる経済成長を謳歌した。そして、今世紀の初頭、彼らは金融というワナに蹴躓(けつまず)いてしまった。

前向きに考えれば、この躓(つまず)きは悪くないことなのかもしれない。というのも、人間の性向のうち、もっとも厄介なモノとされるのが「思い上がりや傲慢さ」であるからだ。



経済的な寒風により、イギリス人も日本人も多少なりと謙虚にならざるを得なくなったようで、それは食べ物の無駄の減少にも見られることである。

食料生産の現場を知らない人々は、あらゆる季節の食べ物が常にスーパーの棚に並んでいることしか知らないため、食料が「有限」であることへの実感は薄い。そして、今の今にも食に苦しむ人々が世界にいることも、メディアの中の話にすぎない。



◎Basket case(ポンコツ)


虫歯が痛くなった時には、もうだいぶ菌にやられてしまっている。

もし、御神輿に乗っている先進国の国民が「食が有限である」と実感した時、世界はどんな姿になっているのだろうか。



世界経済は、こぐのを止めると倒れてしまう自転車のように、その成長が止まることを極端に恐れている。しかし、「成長のための成長」はその身を伴わないことも…。

その歪みは、経済的な格差や国や地域の格差となって、その自転車のペダルをどんどんと重たくしてしまう。さらには、その車輪までもがどんどんと小さくなり、漕いでも漕いでも出るのは汗ばかり。そして、その現実に気づいた時、その汗は冷や汗に…。



将来への不透明さや未来への不確実さを最も嫌う世界経済は、いまその歩みを止めようとしているかのようである。そして、その足をどっちに向けてよいか決めかねて、途方に暮れているようでもある。

冒頭の英国エコノミスト誌の記事のタイトルは「Basket case(手も足もでない無力な状態)」。はたして次なる一歩は、どこへ向かうのか? それは安く不健康な方角であろうか…。





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