「If not now, then when?(今じゃなかったら、いつ?)
If not me, then who?(自分じゃなかったら、誰が?)」
彼はこう心に決めて、手に余るほどの大仕事を、安請け合いしてしまった。
彼の名は「ミック・エベリング」。彼が引き受けた大仕事は、全身不随となった人物(テンプト)とコミュニケーションをとること。
ところが困ったことに、ミックには、その手の知識はサッパリなかった。
全身不随となって眼球しか動かせなくなった人物と、いったいどうやったらコミュニケーションがとれるというのか?
「ホーキング博士のような、ああいう装置があればいいのか?」
※のちに、その装置が「庶民の手」に入るものではないということが判る。
何も知らない、何も持っていなかったミックが、なぜそんな大仕事を引き受けてしまったのか?
それは、動けなくなったテンプトをただただ見守る家族の、こんなつぶやきを耳にしてしまったからだった。
「ちゃんとコミュニケーションをとりたい…、ただ、それだけ…」
この言葉を聞いたミックは、もはや一歩も後へは退けなかった。
「何をすれば良いかも見当がつかないまま、その場で約束してしまったんです。
『何らかの装置で、コミュニケーションを可能にする!』って」
ミックにとってのテンプトは、「ヨーダ」のような存在。
全身不随となったテンプトは、ミックの尊敬するグラフィティ・デザイナーであったのだ。
「テンプトのグラフィティといったら…、凄すぎる…!」
ミックには、家族の切望するコミュニケーションのみならず、もう一度、テンプトに「グラフィティを描いて欲しい!」という野望もあった。
ミックは「テンプトの才能をムダにしてはいけない」と、思い極めていたのである。
さて、じゃあ、どうする?
五里霧中のミックの眼前に、突然現れたのは「GRL」というアート集団だった。
彼らは好きな場所を見つけると、所構わず「レーザー光線」で落書きをしてしまうという、変わった人たちであった。ビルの外壁、ローマのコロッセオ、ピラミッド…、とお構いなしである。
彼らの落書きをぼんやり眺めていたミックは、突如閃(ひらめ)いた。
「レーザーを眼で操作できるようにすれば、テンプトはまたグラフィティが描ける!」。テンプトは全身不随になったけれど、幸い、眼球だけは動かせるのだから。
それからというもの、ミックはその一事に邁進することになる。無我夢中で一年間…。
ミックは、世界各地から「7人のプログラマー」を自宅に招聘した。
プログラマー、ハッカー、アナーキニスト、陰謀論者…、
「奴らに家をメチャクチャにされるぞ」との忠告を受けながら…。
異能の才をもつ7人は、2週間ぶっ続けでプログラムを打ち続けた。
プログラムの知識のないミックは、「材料」の調達に奔走。安物のサングラス、ゲーム機のカメラ、LEDライト、銅線…。
構想から一年以上、そして、ラストスパート最後の2週間、異能の才がスパークして、それは遂に完成した。
描画装置「アイ・ライター(Eye Writer)」。
この装置は、目の動きだけでコミュニケーションをとったり、絵を描いたりできる装置である。
ミックは大興奮して、病室のテンプトの元へと走った。片手に「アイ・ライター」を握り締めて…。
夜の静まり返った病棟にあって、テンプトの病室ばかりは、異様な熱気に満ちている。
「アイ・ライター」をかけるテンプト。
彼がグラフィティを描くのは、じつに7年ぶりだ。
家族、友人が見守るなか、彼は描いた。病室の窓越しの、駐車場の壁に向かって。
「ただただ、感動的でした…」
テンプトのグラフィティは、復活したのだ。
のちにテンプトは、ミック宛てにメールを送っている。
「That was the first time I’ve drawn anything for 7 years.(7年ぶりに絵を描いた)
I feel like I had been held under water,(ずっと水中に沈んでいたけど)
and someone finally reached down and pulled my head up (やっと助けが来て)
so I could take a breath.(息ができた)」
ミックが人のために奔走するのは、こうした嬉しさを共有したいからでもある。
ミックのやることなすことは、「全部自腹の非営利事業」ばかり。
今回のアイ・ライターも、「コードとソフトを無料配信」している。つまり、簡単な材料さえ調達すれば、誰にでも作れるのである。
アイ・ライターは方々で話題となり、数々の賞も受賞。
TIME誌の発明品ランキング2010にも選ばれている。
ミックは、皆に問う。
「If not now, then when?(今じゃなかったら、いつ?)
If not me, then who?(自分じゃなかったら、誰が?)」
「パソコンも携帯も、インターネットも、一昔前までは『不可能』なものばかりだったじゃないか。不可能はいずれ『可能』になるんだ。
僕にはプログラムの知識もなければ、アイ・ライターで用いられた視線認識の技術なんかは、初めて聞いたものだった。それでも、何とか出来たんだ」
ミックの実践した哲学は、アメリカで「The power of pull(引き出す力)」として風靡したものと同一のものである。
ミック自身は何も持っていなくとも、彼は他者から力を引き出す術を、十分に心得ていた。
全身不随で離れ小島となってしまっていたテンプトの元へ、ミックはあらゆる力を引き込んだのだ。そして、その新たな流れの中から、アイ・ライターは産声を上げたのである。
書籍「The power of pull(引き出す力)」によれば、今までは自分自身の力をゴリ押しするような「push(押す)」時代だったが、これからは、他者の力を引き出す「pull(引く)」発想のほうが、成功を導きやすいのだという。
Facebook、Twitterなどが用意しているのは、そのプラットフォーム(器)である。
ミックの引き寄せた力によって、テンプトのグラフィティは息を吹き返した。展覧会などにも作品は出品できるようにもなったのだ。
そして、ミックがテンプトのために作ったアイ・ライターは進化を遂げ、2.0バージョンでは赤外線カメラを利用することにより、メガネをかける必要がなくなった。
さらに、アイ・ライターの切り開いた視線認識技術は、さまざまな発展を遂げ、より広範な分野へとその羽を広げ始めてもいるという。
時代という大きく重いものが動くのは、より身軽な一人一人の人間の小さな動きが積み重なるからでもあろう。
トルストイは、こんなことを言った。「誰もが世界を変革することを考える、だが誰も己を変えようとは考えない」
大きな不可能も、小さな小さな可能が積み上がることによって、それは可能へと変わるのかもしれない。
「If not now, then when?(今じゃなかったら、いつ?)
If not me, then who?(自分じゃなかったら、誰が?)」
それは、どんなに小さなことでも、いいのかもしれない。
出典:
TED Talk
ミック・エベリング:閉じ込め症候群のアーティストを解き放った発明
スーパープレゼンテーション
ミック・エベリング「体の不自由なアーティストに自由を与える発明」
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