2012年6月18日月曜日

イギリスであってイギリスでない「スコットランド」


「独立」という甘美な響きは「スコットランド」をホロ酔いにさせているのかもしれない。

スコットランドは「イギリス」から独立して、新たな国家となる道を国民に問おうとしている。



イギリスは「連邦国家(United Kingdom)」、すなわち複数の国々の集まりであり、イギリスを構成するのは「イングランド」「ウェールズ」「スコットランド」「北アイルランド」である。

これら4ヶ国はお互いに争いながら、現在我々の知るイギリスに落ち着いた歴史を持つ。





「イングランド」が「ウェールズ」を合併するのは今から480年ほど前の1536年。そして、「スコットランド」を合併するのは今から300年ほど前の1707年。これら3ヶ国を総称した言葉が「グレートブリテン」である。

グレートブリテン王国となった約100年後(1801)、「北アイルランド」との連合により、現在の「イギリス」が完成する。

※イギリスの正式名称は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(United Kingdom and Notrhern Ireland)」。



複数の国家が連合したとはいえ、イギリスの国土は日本の65%ほどしかなく、北海道・東北・北関東に新潟を足したほどの面積しかない。

そのうち、スコットランドの面積は北海道のそれにほぼ等しく、イギリス全土のおよそ30%を占める。さらにスコットランドは「北海油田」という石油・ガス資源をも抱える重要な地域である。



もし、そんなスコットランドがイギリスから独立したら?

イギリスにとっての損失の大きさもさることながら、スコットランドにとっても不利益は大きいのではないのか。

グローバル化した世界で小国の生き残りがどれほど困難かは、近隣の「アイルランド」「アイスランド」の苦境を見ても明らかではないか。



それでもなお独立を求めるというのは、スコットランドの抱えるイングランドへの「感情」なのかもしれない。

両国の争いの歴史による不和は、こんな言葉も生んでいる。

「カラス麦はイングランドでは馬のエサだが、スコットランドでは人間が食べる」



イングランドに揶揄されたスコットランドは、こう言い返す。

「ゆえに、イングランドの馬は優秀で、スコットランドでは人間が優秀なのだ」



その言葉通り、ある時期のスコットランドの優秀さは比類なきものであり、「発展は北にあり」と賞賛されるほどであった。

イギリスを世界帝国に押し上げた「産業革命」は、スコットランド人のジェームズ・ワットが「蒸気機関」を発明しなければ始まらなかったであろうし、現代文明を大きく進展させた電話(グラハム・ベル)、ファックス(アレクサンダー・ベイン)、テレビ(ジョン・ロジー・ベアード)も全てスコットランド人の発明であった。

学問の分野では経済学(アダム・スミス)、医学(ペニシリンの発見、アレクサンダー・フレミング)、社会学(ジョン・ミラー)、物理学(マクスウェル)と枚挙にいとまがない。

その華やかさは「北のアテネ(ギリシャ)」とも呼ばれるほどであった。


スコットランド・ルネッサンスと大英帝国の繁栄


それほど優秀だったスコットランドは、2度の世界大戦によって衰退を余儀なくされてしまう。

スコットランド人はヨーロッパ屈指の勇猛な戦士と謳われたがゆえに、その多くが徴兵されて過疎化が深刻化し、ドイツ空軍の爆撃は2大都市であったエディンバラとグラスゴーを壊滅させた。

こうした悲しい歴史をへて、イギリスの発展を牽引していたはずのスコットランドは、いつの間にかイギリスの「お荷物」とまで言われるようになってしまうのだ。



スコットランドが再び陽の目を見るようになるには、北海に油田が発見されるのを待たなければならない。その採掘が開始されたのは1960年のことであった。

現代文明における「石油」の比重は重すぎるほどに重い。スコットランド経済は一気に躍進し、栄光は再びその頭上に輝きはじめた。



しかし、「力」を手にすると決まって鎌首をもたげてくるのは、イングランドへの「対抗意識」であった。

「北海油田はスコットランドのモノであるはずなのに、その恩恵をイングランドに横取りされている」との不満の声が高まってくる。

その声に後押しされて勢力を増大させるのが、スコットランド独立を志している「スコットランド国民党(SNP、Scottish National Party)」である。



2007年のスコットランド議会選挙において、スコットランド国民党(SNP)は労働党を僅差で凌ぎ第一党へとのし上がり、その党首「アレックス・サモンド」氏がスコットランド首相に選出されている。

イギリスという統一国家の中に、スコットランド議会、そしてスコットランド首相が存在するのは奇妙な話ではあるのだが、それはスコットランド出身であったトニー・ブレア元イギリス首相のはからいでもあった。

ブレア政権時の国民選挙(1997)により、スコットランド議会は300年ぶりの復活を果たしたのである。

※スコットランド議会は1707年の合併と同時に閉鎖されていた。



300年前、スコットランドがイングランドに降らざるを得なかったのは、主に経済的な理由からであった。

1700年頃のイングランドは、人口でスコットランドの5倍、経済規模では40倍近い巨大な存在だったのである。



スコットランド合併吸収に先立つこと100年ほど前、スコットランドの王がイングランドの王として迎えられるという「同君連合」がなされていたのだが、1688年に起きた名誉革命はスコットランドにとって「勝手に王をすげ替えられた暴挙」であった。

それでもスコットランドはイングランドに立ち向かえる力はなかった。

1651年のイングランド「航海条例」によって、スコットランドはイングランドにとっての同君連合の相手国ながら他国として扱われ、貿易による利益を大きくそがれてしまっていたのである。

徐々に経済の首を絞められていったスコットランドは、泣く泣くイングランドの軍門に降らざるえなかった。そして、王は奪われ、議会は散った…。


とびきり哀しいスコットランド史


力任せのイングランドへの反感は、スコットランドで根強い。

「ジャコバイト運動」と呼ばれるのは、イングランドへの合併以来脈々と続くイングランドからの独立運動である。

300年振りに復活したスコットランド議会において、議員たちの胸に付けられていた「白いバラ」はジャコバイト運動の象徴であった。



そして、議会復活と同時に返還された「スクーンの石」は、スコットランド王室の宝であった。

そのスクーンの石は、700年前(1296)にイングランド王が強奪したものであり、その大切な石がイングランドにあること自体が、長らくスコットランド人の感情を逆なでし続けていたのである。



こうしたイングランドに対する歴史的な感情は、現在のスコットランドを独立へ向かわせようとしている。

しかし、世代が何度も何度も交代した300年という時は、そうした感情を風化させるには十分な長さでもあった。



現代人たちは、感情よりも「経済」を優先している。

ある世論調査によれば、生活が苦しくなっても独立を支持するというスコットランド人は全体の20%ほどに過ぎない。

大半の人々は、「新しいiPadを買えるだけのお金が入るなら独立に賛成票を入れる」という冷静さだ。



スコットランドは潤沢な資金を生み出す北海油田を抱えているとはいえ、独立すればイングランドからの助成金は入らなくなり、たとえ税収が増えたとしても失った助成金を賄えるほどかどうかは疑問視されている。

さらに北海油田に頼りすぎる経済事情も危ういものである。GDPの20%近くを石油に依存することになれば、その国際価格の上下に一喜一憂するロシアの如しである。

もう一つ残念なことには、北海油田の産油量は年率6%ずつ着実に減少しているため、いずれ完全に枯渇することは免れ得ない。



スコットランドの第一党となったスコットランド国民党の目指す新しい国は、北欧流の国家だという。

全ての子供への無償保育、大学の学費ゼロ、老人介護の負担もゼロ、さらには手厚い年金の支給というものだ。

不安視される北海油田の財源で、どこまでこうした夢が実現できるかは未知数であろう。



独立という選択は、スコットランドにとって吉と出るか、凶と出るか?

その真意は今から2年後(2014秋)、スコットランド人たちに問われることとなる。




フィガロ ヴォヤージュ
 スコットランドで手仕事と出会う




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