2012年6月30日土曜日

妊娠中絶の是非(アメリカ)


「『中絶』は殺人か否か?」

これはアメリカの大統領選挙が迫ると決まって取り沙汰される「問い」である。



中絶賛成派は「プロ・チョイス(pro-choice)」と呼ばれ、「選択(choice)の自由」を主張する。かたや中絶反対派は「プロ・ライフ(pro-life)」と呼ばれ、「生命(life)の重要性」を強調する。

大雑把に分けてしまえば、アメリカの二大政党である民主党(オバマ大統領)は「プロ・チョイス(中絶賛成)」であり、もう一方の共和党は「プロ・ライフ(中絶反対)」である。

※「pro-(プロ)」という接頭語は「~に賛成・~びいき」という嗜好性を表す。その反意は「anti-(アンチ)」。






前回の大統領選挙(2008)のさなか、共和党の「サラ・ペイリン」が「ダウン症の子供」を出産した。

古典的な(保守的な)キリスト教を信奉する共和党のサラ・ペイリンが「障害児と判っていながら中絶しなかった」のは当然のことだったのかもしれない。




しかし、反対陣営だったオバマ支持派は、彼女をひどく罵倒した。

障害児を中絶しない「くそバカ女め!(a fucking stupid cunt)」

「中絶をしないとバカな子供が生まれ、その面倒を見るために政府の金が余計にかかるじゃないか!それは不経済だ!」



当然、中絶反対派は烈火のごとく反論する。

「中絶は『神の道に反する大罪』であり、『殺人』である!。

中絶を行う女性たちは皆『殺人者』であり、中絶クリニックも『殺人犯』。それを支持する政治家も『殺人の共犯者』だ!

いかなる障害児も『神の子』である!」

Source: topnews.in via Hideyuki on Pinterest


サラ・ペイリンの属する共和党には保守的なキリスト教徒が多く、その信念は「聖書」の記述に深く根差している。

聖書をひも解けば、こうある。「私が隠れた場所で作られ、暗いところで織り綴られた時、あなた(神)は私の骨組みを見て知っていました。あなた(神)は『できあがる前の私の身体』を見ていました(詩編139章)」



その言わんとするところは、「胎児は『受精卵の時点』から神の子」であるということである。

つまり、保守派キリスト教徒は胎児はもちろんのこと、「受精卵にも人権がある」と信じているのである。






彼ら中絶反対派はときに「過激化」する。

旧約聖書には「命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足をもって償わせねばならない(申命記19章)」という同害報復の記述があり、「中絶という殺人」には「報復の殺人」が正当化されると信じる者もいるのである。



「命には命を(殺人には殺人を)」という言葉を忠実に実行してしまった人物が「エリック・ルドルフ」。彼は中絶クリニックを爆破し、警備員2人を死亡させている(1998)。

彼はこう言った。「中絶は殺人だ。それを阻止するための実力行使は『正当なもの』だと信じている。」



中絶反対の過激派による中絶クリニック爆破や中絶医の殺害は後を絶たない。逮捕覚悟の過激な抗議運動、わざわざ警察沙汰になるような挑発的なデモ…。

赤ちゃん殺しは「神の意志に背く大罪であるため、たとえ逮捕されてでも阻止したい」と心底思っているのであるから。

中絶クリニックを爆破した先の「エリック・ルドルフ」は、一部の人々に「神の意志を実行したヒーロー」とまで崇められているのだという。

※「目には目…」という有名な記述は、本来「過剰報復」を禁じたものであるとされている。たとえば、「片目を潰されたのに、その報復として両目を潰してはいけない。足を折られただけなのに、その報復として殺してはいけない」などなど。過剰報復が当たり前であった時代に定められた同法は、むしろ「慈悲深い刑罰」だったのである。



ちなみに、「目には目を…」を信奉する人々は「死刑」を是とする。

胎児の命を絶つことに猛烈に反対していながら、その一方で人を殺す「死刑」を是とすることには奇妙な矛盾があるようにも感じるが、罪なき者と罪ある者ではその扱いが違って当然ということであろうか。



中絶賛成派と中絶反対派の議論は、時に「不毛」に終わる。

「科学的な論」を展開するリベラルな賛成派に対して、保守的な反対派が持ち出すのは決まって「神の言葉」なのである。

「陶器が陶器職人と言い争うだろうか? 粘土が焼き物師と口論するだろうか?(イザヤ書45章)」(※聖書の記述によると、人間は神によって「土」から作られたとある)

神が与えた命を人間(陶器)がとやかく言うのは「災いのもと」だと反対派は一蹴してしまうのだ。

Source: google.co.in via Neha on Pinterest



それでも、アメリカは立派な法治国家。

正式な決着の場は「裁判所」ということになる。

中絶の是非を決定づけた裁判は、今から40年ほど前の1973年に行われた。



「ロウ vs ウェイド裁判」と呼ばれるその裁判は、州が中絶を認めないのは「プライバシーの侵害である」と訴えた女性、ジェーン・ロウの勝訴に終わる。

この裁判以前、アメリカで中絶が合法化されていた州は、たったの4州(ニューヨーク・ワシントン・ハワイ・アラスカ)。ところが、この裁判以降、アメリカ全土で中絶が合法化されていくことになる(妊娠6ヶ月目まで)。

アメリカ大統領選挙のたびに、中絶問題が大きな争点になるのは、この時からである。



煮え湯を飲まされた中絶反対派は、今でも全く納得がいっていないのだ。

「中絶された胎児が、中絶した医師の指をつかんでいる写真」や「子宮の中の胎児が中絶器具から逃れようとしている映像」、さらには「生きたまま体外に引きずり出され、自然死させられる赤ちゃん」。

そうした画像や映像による啓蒙活動は、現在でも日夜盛んに行われているとのことである。




そんな啓蒙的なポスターを、ある時の「ジェーン・ロウ」は目にした。

先に述べたように、彼女は40年前に中絶の是非を問う裁判に勝利した「中絶賛成のシンボル的存在」である。



そのポスターの胎児(10週間)は、とても可愛い目でジェーンを見つめていた。

その時である。彼女の目が見開かれたのは。

「『胎児も赤ちゃんだ…』という真実に気づかされた」、と後の彼女は語っている(Won by Love)。



彼女は大いに悔いた。

「私は間違っていました。中絶クリニックで働いていたことも、中絶を合法化する書類にサインしたことも…。」

彼女の心を大きく変えたのは、福音主義の牧師との出会いであったという。そこで彼女は洗礼を受けたのだ。それ以来、中絶賛成から一転、中絶反対へとその主張を180°変えたのである。





中絶の是非に関する結論は、未だ出ていない。

「障害があると判っている子供を産むは、是か非か?」

理想論は誰にでも言えるであろうが、はたしてサラ・ペイリンのような決断を下すことはできるであろうか?

中絶賛成を唱える人でも、自らがその場に立たされた時、その主張を180°変えることがあるかもしれない。かつてのジェーン・ロウのように…。

Source: epm.org via Hideyuki on Pinterest




出典:レッド・ステイツの真実 ――アメリカの知られざる実像に迫る





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