昔々あるところに、「ヘレー」という陽気なお爺さんがおりました。
ある時、山仕事をしていたヘレー爺さんは木の根っこの下から、それはそれは立派な「トルコ石」を掘り出しました。
そのトルコ石を持って村に戻ってきたヘレー爺さん、村の人に声をかけられ、そのトルコ石を「馬」一頭と交換しました。さらに、へレー爺さんは馬を「牛」に、牛を「羊」に、羊を「ニワトリ」へ、次々と交換していきます。
ニワトリを抱えたへレー爺さん、さらに歩いていると、遠くの方からとても美しい「歌声」が聞こえてきます。その歌声に惚れ惚れしたへレー爺さんは、こう言います。
「その歌を教えてくれんか。このニワトリをやるから」と。
ニワトリと「歌」を交換したへレー爺さん、手元には何もなくなりました。それでもへレー爺さんは「幸せ」です。その歌を歌えば、村の人みんなが喜んでくれるのですから。
この話は「ブータン」という国に伝わる昔話である。
日本人ならば、この昔話とよく似た話を知っている。
他ならぬ「わらしべ長者」の民話である。
しかし、へレー爺さんとわらしべ長者は決定的に違う。
日本のわらしべ長者が最初は価値のなかった「わら一本」を「立派なお屋敷」にまで交換していくのに対して、ブータンのへレー爺さんは最初に高価な「トルコ石」を手に入れていながら、どんどん価値の低いモノに交換していき、最後には手元に何も残らないのである。
へレー爺さんのお話は、言うなれば「逆わらしべ長者」である。
ブータンという国は「経済小国」ではあるものの、国民一人一人の満足度が極めて高い国として、近年とみに世界中から評価されるようになった国である。
※ブータンの国民一人当たりのGDPは、日本の20分の1以下。調査対象181ヶ国中、122位。
決して豊かな生活を送っているわけではないブータンの人々。しかしなぜ、ブータンの人々は自分たちの生活に高い満足を感じているのか?
その秘密が、へレー爺さんにあるような気がする。
へレー爺さんは「トルコ石」を掘り当てなくても、すでに幸せだったのだろう。
ただ、それを欲しいという人がいるから交換していっただけなのだろう。交換した人たちの喜ぶ姿を見るのが、へレー爺さんにとっては嬉しかったのかもしれない。
全部の持ち物を人にあげてしまったへレー爺さんは、最後に「歌」というとっておきのご褒美を手に入れた。モノはあげればなくなってしまうけれども、歌ならば自分が歌う限り、いつでもみんなを喜ばせることができるのだから。
ポブジカ谷の村長は、こう語る。
「自分が幸せになりたいなら、他の人や他の生き物の幸せも考えなければなりません。
自分よりも弱い立場のものを大切にするのです。」
ブータンの人々にこんな質問をすると、その国民性が浮き彫りになる。
「自分さえよければ良いと考えたことはありますか?」
じつに78%の人々が「絶対にない」と答える。さらには同程度の人々が「他人を羨ましいと感じたこともない」と答える。
彼らが自分単独の幸福を望まないのは、「地域のつながり」が密接であることも深く関係している。同じ村の人々の連帯感は極めて強く、まるで同じ家族かのように、他人の家にも自由に出入りするほどである。
「困った時、何人の人が助けてくれますか?」
この問いに対して、64%の人々が「8人以上」と答え、「誰もいない」と答えるのは1%にも満たない。その助けが「金銭的なもの」であったとしても、国民の半数以上の人々が「3人以上が助けてくれる」と答えている。
ブータン政府の高官は、こう話す。
「他国をよくよく観察すると、世界のゴールがGDP(お金)にしかないことが分かりました。しかし、それでは『不十分だ』と我々は感じます。
お金が一番と考えれば、それには『終わり』がありません。より速い車、より大きな家、より素敵な服が欲しくなるだけです。お金が与えてくれる喜びや楽しみは『一時的な感情』にすぎません。我々が目指すのは、もっと『長期的な満足感』なのです。」
おっしゃる通り、お金で得たモノからは「その時の満足感」は得られるものの、そこからさらに「もっと良いモノ」が欲しくなり、結果的には「不満足」を増すことにもつながってしまう。
さらに悪いことには、相手の持つ「もっと良いモノ」を羨望、嫉妬してしまうことすらある。
GNH(国民総幸福)委員会長官は、こう語る。
「幸福は木の後ろや家の中、お寺にあるものではないのです。探せば探すほど見つからないもので、探すのをやめた時にようやく見つかるものなのです。
『自分の中にあるものを知ること』、それが幸福なのです。」
日本に来日したブータン国王は被災地・福島を訪問した際、子供たちにこう語りかけた。
「私たち一人一人の心の中には『竜』がいます。その竜は私たちの経験を食べて育ちます。私たちは心の中の竜を大切に大切に、何年も何年もかけて強く育てなければならないのです。」
国王の言う「竜」は、GNH委員会長官の言う「自分の中にあるもの」に他ならないのだろう。
そう言えば、わらしべ長者も観音様にこんなことを言われていた。
「初めに触ったものを大事にしなさい」と。
観音様にそう言われた男は、初めに手にした「わらしべ」を大事にするあまり、その先に結びつけたアブを欲しがる子供を前にしても、そのわらしべを子供に譲ろうとはしなかった。
それでも、男が初めに触ったものがたまたま価値の低い「わらしべ」だったからこそ、男はわらしべを手放す気にもなった。
しかし、それが「トルコ石」のような高価なものだったら、男はそれを譲ったであろうか? 貧乏人だった男の心のままであったのならば、それは決してできなかったであろう。
観音様がおっしゃったのは、自分の持っているもの、もしくは身近にあるものを大事にしなさいということだったのだろう。
そして、それを欲しがる人やそれを喜ぶ人がいるのならば、それを与えてやることでもあったのだろう。人にあげることで、そのものの価値が上がるのならば。
冒頭のへレー爺さんもわらしべ長者も、その物語の帰結は全く正反対でありながら、その心根は同じところに根差しているような気がする。
どちらの物語も「自分だけが良ければよい」ということを暗に戒め、より長期的な満足を得るには「他者を満足させなければならない」と教えているようだ。
わらしべ長者は最後に「大きな屋敷」を得て、へレー爺さんは「歌」を得た。
表明上は両極端な持ち物を得た二人ではあるが、その途上で多くの人々を満足させていったことに変わりはない。
その違いは、わらしべ長者は最初幸せでなかったのに対して、へレー爺さんは最初から幸せだったことであろう。
さて、話を再びブータンに戻そう。
先のポブジカ谷の村には「ツルの舞」という伝統的な踊りが代々受け継がれている。
その歌に耳を傾ければ、こんな言葉が耳に届く。
「♪ ツルが翼を羽ばたかせる時、人の罪は清められる♫
♫ ツルは人の罪を清めながら世界を回る♪」
この土地の人々は、鶴は人の罪を清めるとして、とても大切に思っているのである。毎年、村に飛来する鶴は村人たちの喜びでもある。
だから、チョットでも鶴が村に来るのが遅れると、みんな心配して鶴の話ばかりをするのだという。
「鶴がいるだけで、本当にホッとした気持ちになれるんです」と村人は言う。
そのツルを大事にするあまり、この村の一部には長らく「電気」が引かれなかった。
なぜなら、その地域に電気を引こうとすると、その電線は「ツルの集まる湿原」を横切らざるをえず、それはツルたちの邪魔になると慮(おもんぱか)られたからである。
それでも、電気の来なかった住民は文句一つ言わなかった。小さな灯油ランプで十分満足していたのである。
そんな話は海を越えて、遠くオーストリアの地に伝わる。
この話に感銘を受けたオーストリア政府は、その村への資金援助を申し出て、電線を地中に埋める工事を買って出た。地中であれば、ツルの邪魔になることもない。
なんとも微笑ましい「ツルの恩返し」のようなエピソードではあるまいか。
別名「風の谷」とも呼ばれる美しいポブジカ谷。
その村の人たちは、ツルの話に見られるように、そこに生きる動植物をも他人を大切にするように大切にしているのである。
家畜も「飼っている」というよりかは、一緒に「住んでいる」といった風情で、寒い日などには、牛のエサを大鍋で温めてから与えるほどである。
先の村長の言葉通り、村人たちは「自分たちよりも弱いものたちを大切にしている」のである。
我々先進国の住人は、ここで考えさせられる。
私たちの幸せは一時的な感情を満たすだけのものではないのか?
そして、その一時的な幸せはどこかの弱い人々を不幸しているのではあるまいか、と。
「嬉しい・楽しい」を一時的な感情と切って捨てるブータン政府は英邁である。
それらは「不満足」を助長するだけかもしれないのだから。
そのブータンの標榜する「長期的な満足感」こそが、今の世界に欠けているものなのかもしれない。
手に入れれば入れるほど、失うリスクの高まるものが「長期的な満足感」を人々に与えることはできるのだろうか?
いや、むしろ「満足を他から与えられる」という発想自体が、すでに満足に背を向けてしまっているのかもしれない。「竜」は誰の心の中にもすでにいる、とブータン国王は言うのであるから。
とどのつまり、「わらしべ」も「トルコ石」も必要なかったのである。それらは単なるキッカケに過ぎなかったのだ。
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