2012年6月8日金曜日

DNAの修復能力は放射線を凌げるのか?


およそ100年前、ロシアの医学者アニチコフは、「ウサギに卵を食べさせる実験」を行った。

その結果、卵を食べたウサギの「コレステロール値」は急上昇。



なるほど、とアニチコフは頷いた。

「卵を食べると、コレステロール値は上がるのだ」と。

その後、アニチコフの実験結果は世界に知られるところとなり、「卵を食べると、コレステロール値が上がる」という説は、世界に普(あまね)く広まった。



しかしある時、ある人は「その常識」に素朴な疑問を抱いた。

「ウサギって、もともと卵を食べるっけ?」

彼の疑問通り、ウサギはもともと卵を食べる動物ではない。「それならば、もともと卵を食べる動物が卵を食べても、コレステロール値は上がらないのではないか?」




彼の推測通り、犬で実験しても、人間で実験しても同じ結果が出た。「卵を食べても、コレステロール値が上がらなかった」のだ。

すなわち、ウサギのコレステロール値が急上昇したのは、「卵」を食べたからではなく、「食べたことがないもの」を食べたからに過ぎなかったのだ。



この「ウサギと卵」の話が示すように、説得力の強い「実験結果」というものは、時として疑ってかかる必要もある。

この例と酷似する実験結果は、「ショウジョウバエ」でも起こっている。



およそ80年前、遺伝学者のハーマン・マラー博士は、ショウジョウバエのオスに「放射線(X線)」を照射する実験を行った。

すると、X線を当てられたショウジョウバエの子孫たちは、見るもグロテスクな形態となって生まれてきた。



なるほど、とハーマン・マラー博士は頷いた。

「放射線がDNAを傷つけたために、奇形が生まれたのだ」と。

その後、マラー博士はノーベル生理学医学賞を受賞(1946)。「放射線がDNAを傷つける」という説は世界に普く広まった。



ところが、のちにショウジョウバエのオスというのは、特異な生物であることが判明する。

どこが特異かというと、「DNAの修復酵素を持たない」という点である。すなわち、ショウジョウバエのオスには、傷ついたDNAを自ら修復する力がなかったのである。



確かに「放射線がDNAを傷つける」という説は正しい。

しかし、その実験対象となったショウジョウバエのオスは、例外的にDNAの修復酵素を持たないマレな生物だったのだ。つまり、ひときわ放射線には脆弱だったのである。



DNAを傷つけるのは、何も放射線のみに限定されるわけではなく、様々な要因が四六時中DNAを傷つけている。

一説によれば、人体のDNAは一日に100万回以上も傷つけられているという。



それでも次世代に異常が現れることがほとんどないのは、如何なることか?

答えは単純で、その都度「修復している」からである。その役割を担うのが「修復酵素」であり、それはたいていの生物に備わっている。



現在、原発事故を喰らった我々日本人は「放射性物質」の影に怯えている。

さもありなん。未知の恐怖は、その影を何倍も巨大に見せる。

ただ、われわれ人類には、放射線によって傷つけられたDNAを修復する酵素が備わっていることを忘れてはならない。ショウジョウバエのオスのように、「やられっぱなし」ではないのである。



確かに、短時間に大量の放射線を浴びると、それは死に直結する。

しかし、「低線量の放射線を長時間浴びる影響」に関しては、諸説入り乱れている。「有害だ」という主張がある一方で、真逆の「むしろ健康に良い」と言う人までいるのだから…。




なぜ、低線量の放射線が「健康に良い」というのか?

彼らの主張は、過去の経験則から導き出されるのが、常である。



たとえば、鳥取県の三朝(みささ)温泉は、ラジウム温泉の湯治場である。わざわざ放射性物質であるラジウムを浴びに、人々はこの温泉まで足を運ぶのだ。

わざわざ来るだけあって、その御利益は実証済み。この地のガンによる死亡率は全国平均の半分以下なのである。とりわけ、消化器系のガンの発生は異常に低い(5分の1)。

Source: pub.ne.jp via Hideyuki on Pinterest


また、台湾のとあるマンションでは、建築後20年も経ってから、建築資材に使われた鋼材が「放射性コバルト」に汚染されていることが判明した(2002)。

あわてて1万人の住民の健康調査が実施されたところ、その結果は全く意外なものだった。

なぜなら、低線量の放射線を浴び続けたはずのマンションの住民たちのガン死亡率が、極端に低かったのである(台湾平均の50分の1)。



鳥取のラジウム温泉の年間被爆量は、安全とされるそれの約10倍(10ミリ・シーベルト)。台湾のマンションの場合は、およそ50倍(50ミリ・シーベルト)であった。

※ICRP(国際放射性防護委員会)の指針によれば、平常時は年間1ミリ・シーベルト以下が推奨されている。



現在、放射線管理区域には、18歳以下で年間5ミリ・シーベルトの上限があり、この値は同時に、労災が白血病の発病を認定する値でもある。

ところが、鳥取の温泉はこの危険値の2倍、台湾のマンションは10倍ということになる。




果たして、人間のDNAには、どれほどの修復能力が備わっているのか。

長時間浴びる放射線の影響が比定できないのは、人間のDNAの底力を見極められないためでもあろう。「異常が現れてからでは遅すぎる」。それゆえに、慎重を期さねばならぬのだ。

こうした考えに基づけば、どちらにバイアスがかかっているかは明白である。



我々は長年の経験から、多少の雑菌は健康に良いことを承知している。むしろ無菌状態という方が異常な状態である。

日本民族であればなおのこと、長い長い歴史をもつこの国の住民は、種々雑多な菌とともに長年うまいことやってきた。納豆、麹、酒、味噌…。



むしろ、日本のように長い歴史を持たないアメリカ人のほうが、「菌」に関しては神経質である。

彼らが食器洗浄機を使うのは、汚れを落とすためというよりも「殺菌するためだ」という話を聞いたことがある。彼らは目に見える汚れよりも、目に見えない雑菌を敵としているのである。



菌に対しては耐性がある日本民族も、さすが放射線となると身構えざるをえない。

それは世界中のどこの民族でも同じであろう。放射線の歴史は100年とないのである。十分な経験があると呼べる国は、まだどこにもない。

しかし、だからといって、地球に放射線がなかったかというと、そうではない。ずっとずっと昔から放射線は存在していたのだ。経験がないというのは、人間が意識し始めて以降の話である。



大昔から人間たちは自然に放射線を浴びてきた。それゆえに、そのDNAにはそのダメージを修復するための専門集団(酵素)が常備しているのである。

地球から発せられる放射線もあれば、宇宙から降り注ぐ放射線もある。生物のDNAは、上から下からの攻撃を、つねに防ぎ続けてきたということだ。

※現在、世界の自然被爆量は年間2.4ミリ・シーベルトと言われている。この値は、先のICRP(国際放射性防護委員会)が定める年間1ミリ・シーベルトの2.4倍である。



生物のDNAにとって、まったく不測の事態であったのは、「大量の放射線を一気に浴びる」という事態である。経験豊富ななずの修復酵素も、この猛攻にはなす術もない。

それでも、低線量の被爆に関しては、われわれの思うよりも耐性があるのかもしれない。



トーマス・ラッキーという生化学者は、放射線に「ホルミシス効果」があると唱える。

ホルミシス効果というのは、「劇薬は人体に有害であるが、ある種の劇薬を『少量』投与すると、健康に効果がある」というものである。

つまり、彼は「低線量の放射線被爆は、健康に良い」と言っている。低線量の放射線はむしろ、DNAの修復酵素の活性化を促すというである。



悲観論、楽観論の間で、われわれはしばらく揺れ動き続けるのであろう。

実際問題、いくら低線量であれ、避けられるならば避けたいと思うのが心情である。しかし、完全な無菌状態を求めるのも、また酷な話。

もし、避けえない状況に置かれたならば、それはそれでDNAの底力を信じるしかないのであろう。




出典:致知1月号(2012)
歴史の教訓(渡辺昇一)

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